坂口智隆と出会ったバッティングセンター 特待生制度があれば…幻の甲子園優勝

ヤクルト移籍後に「また1億円プレーヤーになるから」

 プロ入り後はオリックス時代の2012年に筆者は番記者として再会した。沖縄・宮古島キャンプでは同級生を集めた“59年会”でグラスを重ね、ビジター遠征では何度も食事の席が同じになり野球談議。ヤクルトに移籍した際には「また1億円プレーヤーになるから」と、壮大な目標を掲げ、有言実行してみせた。

 中学、高校で繋がった縁は現役を引退してからも続いている。いつも必ず話題に上がるのが高校時代の話だった。

 お互い自らが選んだ道に後悔はない。それでも、もし、坂口が報徳学園に入っていたら……。「もしかしたら、俺、甲子園で優勝してたかもしれん。春夏連覇も目指せていたかも。そうなってたら、お前、試合出れてないで(笑)」。20年経った今、現役を引退した球友と“たられば”の話しに花を咲かせている。

○著者プロフィール
橋本健吾(はしもと・けんご)
1984年6月、兵庫県生まれ。報徳学園時代は「2番・左翼」として2002年は選抜優勝を経験。立命大では準硬式野球部に入り主将、4年時には日本代表に選出される。製薬会社を経て報知新聞社に入社しアマ野球、オリックス、阪神を担当。2018年からFull-Countに所属。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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