素人の壁当てに驚愕「こんな速い球見たことない」 偶然が生んだNPB初の“両投げ投手”

現在は「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田豊年氏【写真:山口真司】
現在は「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田豊年氏【写真:山口真司】

社会人野球で素質開花…ドラフトに掛からずも南海にテスト入団

 明徳では控え投手で終わった。選抜大会のマウンドもリリーフで1イニングを無失点に切り抜けただけ。でも野球を諦めることなく、社会人野球へ。本田技研鈴鹿に入社した。ここで成長したという。「高校の時は球が速い、足が速いの基礎的なものがあっただけで、野球を他の子よりも知らなかった。それが社会人になって、なんとなく守備だとか、いろんな知識がついてきたんです」。

 左肘を手術したり腰を痛めたり、社会人時代は怪我もあったが、4年目になって結果も出始めた。プロもヤクルトのスカウトが見に来るようになった。社会人でも左投げが中心。「右はキャッチボールで投げたり、練習が終わってから投げたりする程度でした。すっかり、左1本でって感じになってました」。1987年ドラフト会議ではヤクルトに下位指名されると思っていた。だが、名前が呼ばれることはなかった。

 失意の中、ヤクルトのスカウトに紹介されて南海の入団テストを受けることに。左で投げ終わった後、杉浦忠監督に「右でも投げられます」とアピールしてアンダースローを披露。人生が変わった。大して練習していなかった右投げが脚光を浴び、スイッチピッチャーとしてのプロ入りだった。右でも左でも使える6本指のグラブもできあがった。しかし……。1年目の広島・呉キャンプ。右投げについて、杉浦監督からある“指令”を出された。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY