「警察が車の違反を測るヤツを…」 スピードガン導入の契機、衝撃の“幻の160キロ”

小学6年でソフトボール投げ70m「同級生の連中とはレベルが違った」

 それにしても、どうやったら、そんなに速い球が投げられるようになったのか。小松氏は「よく聞かれるけど、何もないよ」と答えた。「ただ肩は強かったし、バネはあったね」と言う。持って生まれたものもあるのだろう。「物心ついたときから何でもできたし、同級生の連中とはレベルが違った。小学校6年の時にソフトボールは70メートル以上投げたし、足も速くて、運動会では転んでも勝った。中学の時に幅跳び6メートル、高跳びは1メートル77くらい飛んだ」。

 投球フォームに関しても「星稜に入って、山下(智茂)監督に教えてもらったけど、まぁ、ほとんどが自己流だったね」と話す。ただ、高校1年より2年、2年より3年と球は速くなった感じだったという。「山下監督がいうには、野球は冬に上手くなる、スキーは夏に上手くなるってね。オフのトレーニングだね、特にあの頃の金沢はよく雪が降ったからね。野球なんかできない。走って、ウエート、サーキットトレーニング。一冬越したら体付きも変わったね」。

 1年の春の大会で5回参考記録ながらノーヒットノーラン。その時から相手打者は速球に振り遅れていたそうだが、それが年々レベルアップ。1年秋の敗戦以来、石川県内では負けなかった。高校2年の夏は甲子園大会でもベスト4まで進出。「全国に行っても俺の方が速いなって思った」。小松氏の名前は一気に知れ渡った。そして、高校3年時には甲子園に春夏連続出場。だが、春も夏も不運な出来事があった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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