先輩投手を見下し「こりゃ勝ったな」 余裕で度肝抜いた豪速球…有頂天が招いた“悲劇”

中日で長きにわたり活躍した小松辰雄氏【写真:山口真司】
中日で長きにわたり活躍した小松辰雄氏【写真:山口真司】

中日入団後、キャンプ合流初日で故障した小松辰雄氏

 野球評論家で、人気の飲食店「焼処 旨い物 海鮮山」(名古屋市中区錦3丁目)のオーナーでもある小松辰雄氏は、1977年のドラフト2位で石川・星稜高から中日に入団した。「神様、仏様、稲尾様」の稲尾和久1軍投手コーチと「権藤、権藤、雨、権藤」の権藤博2軍投手コーチに鍛えられ、高卒2年目で抑え投手に抜擢された。150キロのストレートが売りでスター選手への階段を駆け上がっていったが、その前年は試練の日々だった。いきなり右肩を故障したのだ。

 1978年、入団1年目の春季キャンプは静岡・掛川で行われた。「2月10日くらいに合流した。キャンプはすでに始まっていたけど、それまでは高校が行かせてくれなかった、当時はダメだった」。夏の甲子園が終わってから、ほとんど練習していなかったという。「たまにグラウンドに行ってもちょこっとやるくらいだった」。そんな状態で迎えた合流初日、キャッチボールをしていると、稲尾1軍投手コーチが近づいてきた。

「いきなり『ピッチングやるか』って言われた。自分も高校までは肩を作るというイメージがなく、いつでも投げられるイメージだったし『じゃあ、やります』って答えたんだけどね」

 ブルペンに行ったら、他の投手たちが投げていた。それを見て「こりゃ勝ったな、これくらいのスピードなら勝てると思った」という。順番が回ってきたら、思いっ切り投げた。スピードボールがキャッチャーミットに収まるたびに周囲から「やっぱり速いなぁ」の声が聞こえてきたそうだ。

 どんどん人も集まってきた。これに調子に乗ってしまった。「有頂天になって、100球くらい投げてしまった」という。まともな準備もせずに、いきなりの全力投球で、しかもそれだけの球数。「次の日、肩が上がらなくなった。肩を壊してしまった」。結局、1年目のキャンプで投げたのは、その日だけ。あとは走ってばかりだった。「そりゃあ、そうなるよね。でもコーチも止めなかったからね。今思えば、考えられないよね。いいかげんな話だわ」と小松氏は苦笑しながら懐かしんだ。

「俺が権藤だ。お前、知っているか」 偉そうなコーチのひと言

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