打たねばクビ…移籍したロマン砲の“明暗” 新天地が呼んだ「代打逆転満塁サヨナラ弾」
キャンプインから注目を集める阪神→日本ハムの江越大賀
30歳を目前にして、阪神から日本ハムへ移籍した江越大賀外野手が注目を集めている。新庄剛志監督に「振りすぎないこと」を言い含められて迎えた春季キャンプでは、紅白戦で本塁打を放つなどインパクト大の活躍で、開花を期待されている。では江越のように2軍では大活躍する「ロマン砲」と呼ばれる選手は、過去に移籍してどのような道を歩いたのだろうか。検証してみたい。
古くは、大森剛内野手がいる。慶大時代にはソウル五輪にも出場し、1990年にドラフト1位で巨人入り。1992年には2軍イースタン・リーグで当時の新記録となるシーズン27本塁打を記録した。ただ1997年までの8年間で、1軍では通算5本塁打。1996年、オリックスとの日本シリーズで2本塁打したことはあったものの、シーズン通しての活躍はできなかった。
1998年になってトレードで近鉄へ移籍したものの、新天地でもわずか9試合で打率.095に終わると、翌年は1軍出場なく戦力外となり、引退した。
その大森と、1998年に近鉄で一塁の定位置を争ったのが吉岡雄二内野手だ。大森と同じ年のドラフト3位で巨人入り。帝京高の甲子園優勝投手は、2年目のオフに野手へ転向した。1994年には2軍で22本塁打しキングとなったが、1軍では翌1995年に30試合で4本塁打したのが最高。1997年にトレードで近鉄へ移籍したのが開花のきっかけとなった。
その年は22試合で2本塁打にとどまったものの、1998年に一塁のレギュラーをつかみ13本塁打。そこから6年連続の2桁本塁打を記録する。2001年には26本塁打、85打点の活躍で「いてまえ打線」の一角を占め、近鉄のパ・リーグ制覇に貢献した。のちに楽天へ移籍し、2008年限りで戦力外となるまで通算131本塁打を記録した。