無名の“繰り上がりエース”がプロ入りできたワケ 「ラッキーだった」甲子園の星不在

中日では小松辰雄氏が着けていた背番号「34」を譲り受けた

 山本氏は「ラッキーだった」というが、そのチャンスを逃さなかったのは実力なしにはできないことだろう。そしてドラフト指名につながるわけだが「あの年、韓国選抜は神奈川以外に栃木、千葉、東京の各選抜チームと試合をやって栃木と千葉は負けて、神奈川は(3-2で)サヨナラ勝ち。東京選抜は(左腕の)小野和義(創価)が13奪三振で勝ったんです。(同じ左腕の)彼と比較されたんじゃないですかね」。

 小野は南海、近鉄、日本ハムの3球団競合の末、近鉄が交渉権を獲得したドラフト1位左腕で、その後、西武を経て1997年シーズンにトレードで中日に移籍した。横浜商・三浦は中日にドラフト3位指名で入団しており、2人とも山本氏とはプロでチームメートになった縁もある。

 当時のセールスポイントについて山本氏は「高校生の中ではコントロールが良かったってことですかね。それとボールのキレだと思う。ストレートは135、6キロでしたが、社会人にも韓国にも通用しましたしね」と話す。中日での背番号は「34」。前年までは小松辰雄投手の番号だったが、星野仙一氏が引退して、1年間、誰もつけていなかった背番号20を継承することになり、回ってきた。その「34」を32年間、つけ続けることになる。

「実はスカウトと会う日の学校帰りに友達がこんなことを言ったんですよ。『小松が背番号20をつけて、お前は34をつけないかな』って。まだ小松さんが20をつけるなんてニュースも何も出てない時ですよ。僕は『いやいやドラフト5位だし、50番台か60番台だよ』って言ったんだけど、それが本当になったんだよね」。いざ、プロの世界へ。だが、1年目から試練が待っていた。いきなりサイドスローへの転向を打診された。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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