高卒1年目で戦力外危機…首脳陣の命令拒絶で「あいつクビに」 苦境救った“出会い”

元中日・山本昌氏【写真:山口真司】
元中日・山本昌氏【写真:山口真司】

山本昌氏は横手投げ転向令に「嫌です。今のままで勝負させてください」

 レジェンド左腕のプロ1年目は試練の始まりでもあった。50歳まで現役を続け通算219勝をマークした元中日の山本昌氏は「プロに行くと決めたら頑張ろうとなれる性格だったんで、すごく前向きになりましたけど、1984年の2月1日にすべてこなごなに崩れ去りました」と明かす。衝撃を受けたのはレベルの差だった。小松辰雄、鈴木孝政、牛島和彦、郭源治。4人のピッチングを見て「無理無理無理、こんなん全然違う」。心の底から思ったという。

 キャンプ地は宮崎・串間だった。ブルペンの1組目が小松ら4人だった。「キャッチボールが終わって、待ちの時間があったんで、立ってながめていたんですよ。こりゃ、駄目だと思いました」。次元が違いすぎた。こんなのは見たことがない。自分のチームにはもちろん、対戦相手としても見たことがない。「2月1日が終わった時、やっぱり日大に行っとけば良かったとホント、思いましたね」。

 宿は和室で8人部屋だった。高校までは自宅通学。「小さい頃から兄貴と二段ベッドの上下で寝ていたんですが、兄貴はいびきをかかなかったから、初めていびきを知りました。こんなにうるさいのかってね。誰がかいていたのかはわからなかったけど、ホント、寝れないじゃん、疲れてるのに」。これもまた試練だった。

 それでも練習に食らいついた。言われたメニューを黙々とこなした。それこそ手を抜くこともなしに常に一生懸命だったが、ショッキングなこともあった。「ピッチングコーチに『お前、サイドスローにしろ』って言われたんです」。山本氏は「嫌です。僕は今のままで勝負させてください」とはっきり断った。「先発完投を目標に頑張っているのに、どうして……」との思い。投手コーチは「そうか」と言って、その話は終わったが、そこから使われなくなった。

入団1年での戦力外危機を救ってくれた江崎照雄氏

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