高卒1年目で戦力外危機…首脳陣の命令拒絶で「あいつクビに」 苦境救った“出会い”

入団1年での戦力外危機を救ってくれた江崎照雄氏

「その年のオフにはスタッフ会議で『あいつを、クビにしよう』という話になったらしいですよ」。高卒1年目から戦力外のピンチ。これを救ったのは江崎照雄2軍総合投手コーチだった。「高校とかスカウトに失礼だろって言ってくれたそうなんです」。担当スカウトの高木時夫氏は、山本氏が日大藤沢で指導を受けた香椎瑞穂監督の日大監督時代の教え子で、江崎氏もそうだった。

「江崎さんがコーチをしてくれたのは僕にはすごく大きかったですね。そういうのもタイミングですよね。僕は本当にそういうのに恵まれたと思います。幸せなことですよね」と山本氏はしみじみと言う。江崎氏は1963年の現役引退後にスコアラーに転身、1985年シーズンだけ2軍総合投手コーチを務め、1986年からは再びスコアラーに戻っている。まさにピンポイントの“救いの神”みたいな存在だったわけだ。

 とはいえ2年目も1軍登板はなし。オフになるとクビが心配だったという。デビューは3年目、1986年10月16日のヤクルト戦(神宮)、消化試合でのリリーフ登板だった。6回1死から2番手でマウンドに上がり、2回2/3、2失点。「覚えてますよ。緊張したなあ。(先発の)鹿島さんがKOされて僕が出ていったんだけど、すぐに広沢さんにホームランを打たれて……」。

 登板後、ホテルに戻ったらマネジャーから「明日、名古屋に帰っていい」と言われた。「みんなは次の日、横浜でシーズン最終戦だったんですけど、のんびり休んでいいから、1人で新幹線で帰っていいよってね。とぼとぼ帰りました」。その年のオフのことだ。山本氏の野球人生に大きな影響を及ぼす星野仙一氏が中日監督に就任した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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