池田が「やまびこ打線」であり続ける意味 栄光の“呪縛”に悩むOB監督が見つけた本質
部員は何をしに池田へ来たのか…自問自答し、至った答え
指揮官はさらに言葉を紡ぐ。「でも、その考えが生徒の成長に蓋をしていたかもしれないと、100周年の報道をたくさん見ているうちに、今更ですが思ったんです。この子たちは何をしに山奥にある池田へ入学してきたのか。お父さん、お母さんから『やまびこ打線』の話を聞いて、憧れて来たんじゃないのかなと。子どもたちが持っている目的へ導くことが、私のやるべきことじゃないのかなと思ったんです」。
2年生リーダーの宮本絋椰は、池田に進学した理由を「やまびこ打線」への憧れと答えた。また、1年生リーダーの篠原誠皓は名門復活の光を感じている。「阿波の金太郎2世」と呼ばれた4歳上の兄・颯斗が在籍した2019年、春に四国4強入りした鳴門を14安打の猛攻で破った一戦をスタンドで見ていた。「甲子園へ行くなら池田」と確信した瞬間だったという。県外出身の選手たちも、昔の強力打線に憧れて入学してくる。
「どこの地方にも“銘菓”ってあるでしょう? 例えば有名旅館へ行って、女将さんが『ごめんなさい、今はもうないんです』とか『それはないんですが、こっちはどうですか?』って言うことはありませんよね。いつでも“銘菓”は用意されているもの。だからうちも、子どもたちが憧れてくれる伝統を大切にしながら、今の子たちなりの『やまびこ打線』でいないといけない。池田へ帰ってきて、そう思えるまでに7年もかかってしまいました」。
再び甲子園へ戻ることを目標に掲げている。しんしんと雪が降る中、井上監督は素手でノックバットを握った。トスは左手で上げる。「蔦監督もこうだったから。かっこよかった」。同じ憧れを持つ昭和生まれの指揮官とZ世代の球児たちの声が、山々にこだましていた。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)