後輩は“OK”なのに…「お前はまだ早い」 なぜか許可されず、叱り続けた闘将の思惑

「ドラゴンズ以外では大成しなかった。これは間違いない」

 もちろん、鉄拳を食らったこともある。「でも、理由なくして叱られたことはないんで。聞けば納得して叱られていたんで。本気で恨んでいる人なんていませんよ」と強調する。現在では考えられないことでも「結局、叱られた人たちって、みんな使ってもらっている人なんで文句なんて言いません。僕らは使ってもらえることがご褒美。叱られれば使ってもらえる。若い選手は叱られなくなったら2軍なんでね」と話した。

 そんな時代が批判されることには「そういうところばかりがどうしてもクローズアップされるんでね。それはしかたないね」という。その上で「叱られているうちはいいね、よかった、よかった、今日は叱られたね、みたいな感じで(中村)武志(捕手)とかともしゃべっていたんですよ」とも付け加えた。

 数々の最年長記録を塗り替えた山本氏だが、若い頃にひとつ間違えた方向に行っていたら、どうなっていたかわからない。それほどギリギリのところで生き抜いてきた。1989年秋の2度目の米国修行で、ホワイトソックス戦に先発して好投した際にはホワイトソックスサイドが欲しいと言い出し、関係者を通じて「来る気はないか」と聞かれた。「無理でしょ」と答えたそうだが、これだって違う道があったのかもしれない。

 そんなすべてをひっくるめて山本氏は「僕はドラゴンズ以外では大成しなかった選手です。これは間違いない」と言い切る。「ドラゴンズに入ってよかったし、ドラゴンズだからこそ留学させてもらったし、アイクさんにも会えた。もちろん、星野さんにも出会えて本当によかったと思っています」。苦しいプロ初期時代があったからこそ、その後の成功があった。もう40年近い昔のことでも、いつまでも決して忘れることはない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY