清原から痛恨一撃「フルボッコにされた」 散々な一日…忘れぬ“悲しみのパチンコ”

日本シリーズで3回途中5失点KOされ、降板する佐々岡真司氏【写真:共同通信社】
日本シリーズで3回途中5失点KOされ、降板する佐々岡真司氏【写真:共同通信社】

佐々岡真司氏は1991年日本シリーズ初戦で清原和博にいきなり被弾

 清原和博氏と桑田真澄氏。PL学園時代、KKコンビと呼ばれた2人の甲子園での活躍は強烈だった。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は、その2人と同学年。「僕からしたら、雲の上の人。プロに入って同じ舞台に立っても意識した。特に清原との対決は西武時代も巨人時代もあったけど、打たれた時のことが記憶に残っている」という。1991年、西武との日本シリーズでもいきなり一発を食らった。

 佐々岡氏は西武との日本シリーズ第1戦に先発した。プロ2年目のその年に17勝をマーク。シリーズでもエース格の活躍が期待されてのマウンドだった。だが「1戦目は、初めての経験で緊張とか何かで全く駄目でした」。西武の強さばかりを感じたという。初回、清原に先制2ランを浴び、続くデストラーデにも一発を食らった。3回には秋山にも2ランを被弾。2回2/3、5失点KO。西武のクリーンアップにそれぞれホームランを許す散々な結果だった。

 第1戦は3-11で大敗。「あの時はデーゲーム。試合が終わって、エラーした野村(謙二郎)さんと、フルボッコにされた僕と2人で何かさみしくパチンコをして、食事に行ったことを思い出すね」。そして清原の一撃は忘れられない。「抑えたことももちろん、何度もあるんですけどね……」。話は飛ぶが、2003年6月3日の巨人戦(広島)、先発・佐々岡は1-0で迎えた9回2死一塁。完封まであと1人のところで巨人・清原に逆転2ランを許した。それも印象深いという。

「追い込んで外へ真っ直ぐ。ストライクと思ったらボールと言われて、次インコースに行ったらバックスクリーンに打たれた。あの時はショックだった。がっくりきて僕はマウンドで膝から落ちたからね」。抑えたことより、打たれたこと。失敗が糧になり、やられたら、やり返す。それが佐々岡氏の底知れぬパワーの源だったのかもしれない。対清原は、その象徴だったということか。

 1991年の日本シリーズも清原には第1戦の一発以降、1安打しか許していない。2度目の先発となった第4戦は8回3失点で勝利投手。8回1死まではノーヒットピッチングでやり返した。「第3戦に(広島は)0-1で負けたんだけど、(先発の)ペイさん(北別府学)がうまくインコースを使っているのを見て、自分もその投球で……。8回はデストラーデをセカンドライナー。下位打線になっていくし、もしかしたらノーヒットもいけるんじゃないかと意識し始めたら、ストライクが入らなくなったけどね」

 日本一にはなれなかった。3勝3敗で迎えた第7戦に先発したが、4回1/3を2失点で降板し、無念の敗戦投手となった。「あの時は、また来年チャレンジできると思っていた。もう1回、この場に帰ってこようってね。でも結局、それが現役時代はなかった。そこから優勝できなかったのは悔いが残っているよね。あと何回か優勝したかったな。2年目の若造の時の優勝じゃなくて、ベテランになってからも優勝したかった……」。これだけは自身のプレーでやり返すことができなかった。

 プロ3年目の1992年は12勝を挙げた。「調子が悪いなって思った中で2桁勝てたんです。それくらいできるんだという甘い気持ちが翌年の4年目に出たんだと思う」。1993年は5勝17敗。屈辱以外のなにものでもない負け数だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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