人生を変えた「甲子園の感想文」 オリ日本一戦士が今も忘れない…恩師の“金言”

1984年選抜に初出場で8強入り、感想文に記された言葉が支えになった

 グラウンドでは、鬼気迫る表情で選手を指導したこともあった。指揮官の言葉通り、拓大紅陵はその「3年」で甲子園出場を果たすことになる。

 秋の千葉大会で八千代松蔭、習志野などの強豪を次々に撃破し、初優勝を飾った。選抜の参考になる関東大会では準々決勝で法政二(神奈川)と対戦。小川さんのサヨナラタイムリーで4強入りを決め、選抜切符を手に入れた。

 甲子園1回戦の智弁学園(奈良)相手に小川さんは3ランを放つなど3安打4打点の活躍。法政二との再戦となった2回戦にも勝利し、準々決勝へ駒を進めた。PL学園には0-6で敗れるも、見事な快進撃だった。

 何もなかったところから、作り上げた野球部。当事者たちには万感の思いが込み上げてきたはずだ。学校関係者から「よくやった」の声が出るのも当然だ。しかし、監督は一切、自分も選手も称えることはなかった。小川さんは当時を回想する。

「選抜が終わったあと監督が『甲子園の感想文を書け!』と言ったんです。甲子園はこんなに広くて、歓声がすごくて、一球でリズムや流れが変わってしまうとか、高校生の知識の中で精一杯書いて、私は提出したんです」

 小枝監督はその感想文に、メッセージを書いて各々に返却した。小川さんの作文用紙には『一球を疎かにするものは、一球に泣く』と記されていた。後にプロ野球選手となっても、この言葉はずっと小川さんを支えたという。

変わった野球観…ダブルヘッダーの合間にも行った自主練習

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