大学で野手転向→27歳でドラフト指名 選抜V腕が痛感…打者に必要な“自分の見極め”
「まずは自分がどういうタイプのバッターなのか知ること」
最も苦労したのは外野の守備だった。投手のように一定の投げ方ではなく、時にはクイックや横からなど、状況に応じてスローイングの種類を変えることが要求され、次第に「ピッチングができなくなった」という。そして3年から外野手一本に専念した。「大学時代はまだ野手の体になれていなくて、盗塁の時とかによく肉離れをしました。(投手と野手)2つやるって難しいし、大谷翔平は凄いなと思います」。
打撃の才能が開花したのは社会人の日本通運時代だった。右打者の下窪さんは逆方向の「センターから右に強く打つ」ことを徹底し、4番打者として6年連続都市対抗出場に貢献。27歳だった2006年、大学社会人ドラフト5巡目で横浜に指名された。実働は4年と短かったが、プロの世界を経験できたことは下窪さんの誇りだ。
投手から野手に転向する選手たちへ。下窪さんが大事にしてほしいのは「自分がどういう選手なのかをいち早く知ること」だという。「どれだけバットを振るか、ボールを打つかは大事だけど、まずは自分がどういうタイプのバッターなのかを知ること。自分は大学の時、その答えが見つからなかった。その判断が早いほど、結果も変わってくると思います」。
投手への未練がなかった訳ではない。ただ、それでも野手として努力を重ね、プロにまでなった下窪さんだからこそ、その言葉には重みがある。
(内田勝治 / Katsuharu Uchida)