世界の“大谷さん”から侍戦士が学んだこと ダルビッシュですら刺激を受けた濃密な3週間

侍ジャパン・大谷翔平【写真:Getty Images】
侍ジャパン・大谷翔平【写真:Getty Images】

率先してチームを鼓舞、ダルビッシュ「ロッカールームでも他の選手とコミュニケーション」

 同じ食事会に参加した宮城大弥(オリックス)は高卒4年目の21歳だ。「自分の知識のなさ、愚かさをすごく実感した。準備や考え、感覚。自分は遅れていて恥ずかしいです」。世界で戦う二刀流に、ただただ圧倒されたようだが、さらなる成長が期待される左腕には、かけがえのない時間となったのは間違いない。

 チーム最年長36歳のダルビッシュも、大谷と同じユニホームを着て戦う意義を感じていた。「投打ですごくインパクトのある選手だから、ピッチングもそうだけど、ヒットやホームランを打つとチームが盛り上がる。ロッカールームでも他の選手とコミュニケーションを取っていることがすごく大きい」。WBC期間中、大谷が率先してチームを鼓舞する場面が目立った。こういった姿も若い選手たちにとっては刺激となるはずだ。

 米国との決勝前の円陣。大谷はマイク・トラウト(エンゼルス)らスターとの決戦を前に、「憧れるのをやめましょう。憧れてしまっては超えられない。僕らは超えるためにトップになるために来た」と声出しをした。よく噛み砕けば、いつまでも憧れの眼差しで“大谷さん”を見ていては、プロの世界では簡単に淘汰されてしまう。バッテリーを組んだ甲斐拓也(ソフトバンク)は「自分にとっては大きな物になりました。これからの野球人生を含めて、いい時間になったのは間違いない」と、今後を見据えた。

 日本中に歓喜をもたらした侍ジャパンは22日をもって一時解散となった。ただ、“大谷さん”との3週間は有形無形の財産。栗山英樹監督が話していた大谷らメジャー組と国内組の「化学反応」はチーム解散後も続いていく。その1日1日が3年後の世界一連覇へつながっていく。

○著者プロフィール
小谷真弥(こたに・まさや)1983年、大阪・大阪狭山市生まれ。埼玉・東松山市育ち。明大明治高、明大野球部を経て2006年報知新聞社に入社。地方部(富山・石川)を経て2009年に運動第一部(野球部)へ異動。2009年ロッテ、2010、11年横浜、2012年から巨人、2015年から日本ハム、2017年からメジャー担当。2019年2月からFull-Count編集部に所属。

(小谷真弥 / Masaya Kotani)

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