クビ通告なく“生殺し” 振り回された最終年…決意の登板も同僚にボコボコで「ごめんな」

中日で活躍した近藤真市氏【写真:山口真司】
中日で活躍した近藤真市氏【写真:山口真司】

恩師の星野仙一氏から「ピッチャーの近藤で終われ」

 それでもクビ通告はなく「お前に決めさせる」と言われた。だが「じゃあ、現役をさせてください」と訴えると、球団フロントは「うーん」とうなるだけ。本当はやめてもらいたいけど、大偉業を成し遂げたドラフト1位左腕にそうストレートには言えない。そんな空気感がありありのムードに、近藤氏は「『わかりました。秋季キャンプに行って、投げて自分で結論を出しますから』と伝えた」という。球団フロントはホッとしていたそうだ。

 そして沖縄・石川秋季キャンプ。近藤氏は清水雅治外野手らを相手に1か所バッティングに投げたが「やっぱり駄目で、ポンポン打たれました」。予想していたとはいえ、むなしい結果だった。「清水さんとか、みんなが『ごめんな、ごめんな』って謝るんですよ。『いや、ごめんなじゃなくて、僕の力がないんで』って言いましたけどね」。

 その日、高木守道監督から「バッターにならんか」と野手転向の打診を受けた。それから室内練習場にコーチとともにバッティングをしにいった。しばらく打ち込んだという。しかし「いつまで打てばいいのだろう」と思って、コーチの方をチラリと見たらなんと“居眠り”。「別にその気があるわけじゃないんだ」。そう思った近藤氏は夜に当時は評論家だった前監督の星野仙一氏に「野手をやれって言われたんですけど、監督はどう思いますか。僕はピッチャーとしては限界だと思います」と相談した。

「星野さんは『お前は誰にもできない記録を作ったんやから、ピッチャーの近藤で終われ』って言ってくれたんです。『わかりました、これで僕も踏ん切りがつけられます。8年間ありがとうございました』と言って電話を切りました」。翌日、近藤氏は高木監督に「自分は限界だと思いますから、やめさせていただきます」と告げた。「『あっ、そう』って言われました。あれは忘れられませんね。まぁ、それも守道さん流なんですけどね」。

 ドラフトは5球団競合、高卒1年目の初登板でノーヒットノーランの日本プロ野球史上初の大偉業を成し遂げた左腕の現役生活は、こうして終わった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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