“決めごと”ばかりの生活も「女房を楽に」 神懸かりな1年を支えた妻の献身
1984年シーズンに16勝をマークした鈴木孝政氏を支えた奈知代夫人
名古屋で勝ちまくった。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は、1984年シーズンに16勝をマークしたが、そのうち12勝が本拠地・ナゴヤ球場でのものだった。「最初は勝てなくてねぇ。0勝2敗から始まったと記憶している。その時、家で女房にこぼしたことがあるんだよね。『今年勝てないかもしれない』って。そしたら女房が『そんな年があってもいいんじゃないの』って言った。あれで、どれだけ楽になったか。それをすごく覚えている」。奈知代夫人のひと言で気持ちが切り替わったという。
「あの年、名古屋では調子が悪くてもなぜか勝てた。名古屋のエースだったよね」。カムバック賞を受賞したシーズンでもある1984年を振り返りながら鈴木氏は笑みをこぼした。そして「俺が名古屋で勝つと女房はうれしいよね。自分が管理して、そういう意味では戦っているわけだからね」と続けた。実際、その年に限らず奈知代夫人のバックアップがあって、鈴木氏の野球人生は成り立っているといっていい。
「料理の品数は5種類以上出してくれって言ったりしていたからね。ほかにもいろいろ大変だったと思うよ。遠征があったからバランスが取れていた。あれで遠征がなかったら、それこそねぇ……」。鈴木氏はゲンも担ぐ。「ソックスは左足からじゃないと履かなかったし、先発だったらニューソックスを履いたし、ベンチから出てラインをまたぐ時は右足でとか、いくつもあったよ」。もちろん、グラウンドだけでなく、家の中でもいろいろあったようだ。