手術に戦力外…野球が「苦しい」 西武・粟津凱士、再起の支えは“ロッカーでの時間”
「潮崎2世」の期待も…21年4月に右肘トミー・ジョン手術→育成で再出発
シンカーを武器に、かつて西武の黄金期を支えた潮崎哲也氏にちなんで「潮崎2世」の呼び声も高かった右腕が、復帰を目指している。東日本国際大から2018年ドラフト4位で西武に入団した粟津凱士投手。変化の異なる2種類のシンカーが武器だが、これまで1軍での登板はわずか1試合。2021年4月には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。その年のオフに戦力外通告を受け、育成選手として再契約。背番号「112」から、支配下登録を目指している。
山形・山本学園高時代にも、2年秋に右肘の靭帯を痛めた経験がある。卒業まで投げることができず、野球を辞めて地元で就職をしようと考えたこともあったが、進学した東日本国際大ではリーグ通算14勝4敗の好成績を残した。
「大学で投げられるようになりましたが、リーグ戦で週末しか試合がない。先発だったら週に1回投げればいいので、無理をしても休養が取れますが、プロは毎日試合がある。そこで肘にストレスがかかっていたのかもしれません」
再生療法の一種で、自らの血液から抽出した多血小板血漿(たけっしょうばんけっしょう)を注射するPRP療法で経過を見ていたが、痛みが取れずトミー・ジョン手術の決断をした。術後は雨が降ると痛みが出て、天候や気候によって投げられない日もあった。そんな状況に「もう野球をやりたくない」という気持ちになったこともある。
「他の選手が試合に出て活躍しているのを見て『自分は何をしてるのかな』と思いました。投げられるようになっても、以前よりレベルアップして戻らなきゃいけない。その重圧と不安から、野球が嫌になることもありました。でも、手術を許してくれた球団に恩返しがしたいので、そこはぐっとこらえました」