「どうするんや、来年」 日本S帯同も“蚊帳の外”…闘将の一言で察した戦力外

「もう1年」鈴木孝政氏の言葉に星野監督は「来年はお前の好きにしていい」

 第5戦にサヨナラ負けして、敗退が決まった時、鈴木氏は宿舎の部屋にいた。悔しかったし、むなしかった。名古屋への帰り。「新幹線のビュッフェでビールを飲んでいたら、監督が呼んでいると言われた。で、隣に座った。でも仙さんはなかなかしゃべり出さなかった。名古屋に着いちゃうよって思った時に『どうするんや、来年』とボソッと言われた。はっきり言わないけど、優勝を花道にやめたらどうだってこと。そういうことだと思った」。

 星野監督の問いかけに鈴木氏は即答した。「もう1年やらせてもらえませんかって言った」。闘将からは「よし、わかった。来年はお前の好きにしていい」と言われたそうだ。「ショックだった。めちゃくちゃショックだった。大将にお前の好きなようにしていいと言われてみなさいよ。それは戦力じゃないって受け取れるわけだからね」。そんな形で現役続行が決まった。

 翌1989年、鈴木氏は1軍のオーストラリア・ゴールドコースト1次キャンプ、沖縄・石川2次キャンプのメンバーに選ばれた。「春のキャンプは17回目だったけど、それまでの16回は俺が行かなくて誰が行くんだってくらいの気持ちで行った。でも、この時のキャンプは連れていってもらえるんだって思った。ああ駄目だと思った。そんな気持ちでキャンプに行っちゃ駄目だって思った」。

 沖縄では石川球場から宿舎までの6キロを帰りは毎日走って帰ったという。「自分の中でやったって手応えをつかみたくてね。変な悔いを残さないように。大汗かいてやりましたよ。でも、肝心の開幕に丸印がついてなかったけどね」。厳しい立場であることを承知しながら、やれることに全力で取り組んだ最後のキャンプだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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