「年齢違反じゃないのか」 辛辣ヤジも…腐らず全うした“34歳の2軍開幕投手”

1989年10月のヤクルト戦…引退会見後に救援で5回投げて勝利投手に

 巨人のリーグ優勝が決まった翌日の10月7日、ヤクルト戦(ナゴヤ球場)の試合前に引退会見を行った。「発表して、試合のベンチに入った。途中からマウンドにも行ったんだよね」。12-10の5回から登板。なんと5イニングを投げて1失点で勝利投手になった。「試合前に引退会見して、試合後はヒーローインタビューだった。それまで通算123勝。1、2、3で覚えやすくてちょうどいいかと思っていたら、ひとつ勝っちゃって124勝。最後におまけ、これもプレゼントかと思ったね」。

 現役最後のマウンドは10月14日の大洋戦(ナゴヤ球場)。先発して5回6失点で敗戦投手になった。ラスト登板でも5イニング投げたが、予定は3イニングだったという。「3回までパーフェクトに抑えてしまったんだよね。それで監督に『どうしたらいいですか』って聞いたら、仙さんは困った顔をして、行けぇってなった」。だが、4回に1点、5回には一挙5点を失い、この回で降板となった。

「涙しながら投げた。最後は友達の田代(富雄内野手)だった。でっかいセンターフライ。(センターの)彦野(利勝外野手)がフェンスについて捕った。その最後のボールには田代と彦野にサインしてもらったよ」

 鈴木氏の引退試合は翌1990年4月1日、オリックスとのオープン戦(ナゴヤ球場)で行われ、トップバッターの松永浩美内野手だけに投げてサードゴロ。もちろん、それも感慨深い出来事だったが、引退会見直後の試合での5イニングと公式戦ラスト先発の5イニングも忘れられない。いずれも鈴木氏にとっては思い出のマウンドになった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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