メジャーリーガー×ラグビー日本代表 2人の侍が10代で学んだ折れない心を生む“思考”

元ラグビー日本代表主将・菊谷崇氏(左)と五十嵐亮太氏【写真:徳原隆元】
元ラグビー日本代表主将・菊谷崇氏(左)と五十嵐亮太氏【写真:徳原隆元】

元メジャー五十嵐亮太×元ラグビー日本代表主将・菊谷崇――同世代対談・第1回

 日米23年のプロ生活を送った五十嵐亮太さんが、各界のトップで活躍する“同世代”と対談するシリーズ「極める」。同世代だからこそ共有できる想いを語ったり、異業種だからこそ新鮮に感じる発見に驚いたり、多岐にわたるトピックスについて語り合う。

 第5回のゲストは、元ラグビー日本代表の菊谷崇さんだ。現役時代はフランカーやナンバーエイトとして活躍し、2011年には代表主将としてワールドカップに出場。2018年に一線を退き、現在は「Bring Up Athletic Society」を立ち上げ、子どもたちや指導者にラグビーなどのスポーツを通した学びの場を提供している。

 実は中学卒業まで野球少年だったという菊谷さん。187センチで100キロを超える恵まれた体格の元ラガーマンに、五十嵐さんが直球の質問を投げかける全3回シリーズ。第1回は「学生時代」を語る。

◇◇◇◇◇

五十嵐:すごいな。この体格があれば、上手くいけばメジャーリーガーですよ。

菊谷:身長は中学卒業時に180センチありましたけど、細くて“もやし”って呼ばれてました(笑)。大きくなったのは社会人になってからです。

五十嵐:こんな体をしていても、あまり運動が得意じゃなかったとか。

菊谷:球技、特に丸いボールが苦手でしたね。ボールが楕円になって格闘要素が加わったラグビーは得意になりました(笑)。

五十嵐:丸いボールがダメだったかぁ(笑)。野球の何が苦手だったんだろう? プロ野球選手でも野球以外は苦手な人も多いし、僕も水泳は苦手で足もそんなに速くない。ただ、肩は強かったんですよね。野球はいつまでやっていたんですか?

菊谷:小学3年生から中学卒業まで。あのほっそい棒にあのちっちゃいボールを当てるのが至難の業でしたね(笑)。まったく向いてなかったです。小学生の時のチームは厳しかったけど、同級生が僕ともう1人だけだったので試合には出られた。でも、中学で部活に入った途端、これはあかんと思いました(笑)。

五十嵐:厳しいチームで練習してたら、それなりに上手くなりそうだけど。

菊谷:う~ん、厳しいのが練習メニューではなく、試合で負けたらずっと正座、という(苦笑)。

五十嵐:今ではあり得ない理不尽なことが多かった時代だ(苦笑)。

高校から始めたラグビー、「打倒・天理」で目指した花園

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY