メジャーリーガー×ラグビー日本代表 2人の侍が10代で学んだ折れない心を生む“思考”

ラグビー日本代表の主将として2011年W杯に出場した菊谷崇氏【写真:徳原隆元】
ラグビー日本代表の主将として2011年W杯に出場した菊谷崇氏【写真:徳原隆元】

恩師から学んだチームの大切さや仲間を思いやる気持ち

五十嵐:そのやんちゃな生徒も竹田監督の前ではやんちゃできず。

菊谷:ラグビー部の練習がめっちゃ長かったんですよ。大学の教育実習で御所工に戻った時、監督にその理由を聞いたら「自由時間を与えたら悪さするやろ」って(笑)。

五十嵐:なるほど、練習で疲れ果てたら帰って寝るしかない。さすが! 竹田監督から何を学びましたか?

菊谷:ラグビー自体、チームの大切さや仲間を思いやる気持ちが要素としてあって、その根本を監督の下で学べて良かったと思います。当時はその有り難さに気付かなかったですけど。

五十嵐:後になって気付くものですよね。ところで、当時は何をモチベーションにしましたか? 僕は高校2年生からスカウトが見に来るようになってプロを意識し始めました。

菊谷:花園出場ですね。これが一番の目標で、僕は個人的な目標はなかったです。

五十嵐:僕は全く逆。約170校が出場する千葉県は7、8回勝たないと優勝できないから、甲子園出場はちょっと難しいなと。

菊谷:僕らは奈良県に6校くらいしかなくて、天理を倒せば花園出場だし、全国でも8強レベルの実力は担保されたんですよ。

五十嵐:それで花園には?

菊谷:1年生と3年生の時、2回出場できました。1年生の時は応援だけでしたけど。

五十嵐:おぉ、目標達成だ! そこから次のステージにステップアップですね。

菊谷:実は、卒業したら地元で消防士になろうと思っていました。工業高校だし、基本的に大学進学は考えていなかったから。でも、監督に「ふざけるな、大学に行け」と叱られ、大阪体育大学に進みました(笑)。

五十嵐:なんだか野球をしている時も、ラグビー始める時も、大学に行く時も「なんとなく」でやってる感じなのに、日本代表主将にまでなっちゃった。これは周りに感謝しないとダメですね。めっちゃ恵まれてる。

菊谷:おっしゃる通り(笑)。特に竹田先生には感謝しかないですね。

(12日掲載予定の第2回に続く)

(佐藤直子 / Naoko Sato)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY