苦悩の2軍落ちも…元燕戦士を支えた“負けない心” 日本Sの劇弾呼んだコーチの一言

2001年日本シリーズで勝ち越しの代打弾を放った副島孔太さん【写真:共同通信社】
2001年日本シリーズで勝ち越しの代打弾を放った副島孔太さん【写真:共同通信社】

副島孔太さんは桐蔭学園で1年からレギュラー…1つ下に高橋由伸さんがいた

 現在、硬式野球クラブ「GXAスカイホークス」で監督、少年野球「大田リトル」と「大田シニア」で総監督を務める副島孔太さんは桐蔭学園、法大とアマ球界のエリート街道を歩み、ヤクルトやオリックスで計8年間プレーした。2001年の近鉄との日本シリーズで放った代打勝ち越し弾には、2軍での練習の成果が現れていたと振り返る。

 副島さんは桐蔭学園で1年夏からレギュラー。1つ上の高木大成さん(西武職員)、1つ下の高橋由伸さん(元巨人監督)と超強力打線を形成した。副島さんは2年夏の甲子園(1991年)、鹿児島実との3回戦で本塁打を放った。

「とにかくあの2人は凄かった。アウトにならない人だなって思って見ていました。だから、アウトになった時の方が覚えています。身近にそういう超えなきゃいけない人がいたのは良かったですね」

 法大では通算11本塁打。1996年ドラフト5位でヤクルトに入団した。当時の監督は野村克也さん。息子の野村克則さん(現阪神2軍コーチ)が副島さんの1学年上で、中学野球や東京六大学で接点があったため、野村監督も副島さんの存在をよく知っていた。

 球団が主催する入団発表会見後の会食の際に野村監督に呼ばれ、「お前は息子のようなもんだから、一人前にしてやらないとな。頑張れ」と声をかけられた。「そう言っていただけたので、なんとかならないといけないなと思いましたね」。野村監督最終年の1998年に、副島さんは自己最多の107試合に出場。「結果も残せたので良かった。少しは恩返しできたと思います」と振り返る。

硬式野球クラブ「GXAスカイホークス」で監督、少年野球「大田リトル」と「大田シニア」で総監督を務める副島孔太さん【写真:片倉尚文】
硬式野球クラブ「GXAスカイホークス」で監督、少年野球「大田リトル」と「大田シニア」で総監督を務める副島孔太さん【写真:片倉尚文】

2001年日本Sで値千金の代打弾…2軍での逆方向打ち練習が実を結んだ

 ヤクルトファンなら忘れられないのが2001年日本シリーズでの劇的な一発だろう。2勝1敗で迎えた第4戦。1-1の7回に代打で登場し、岡本晃投手から逆方向の左翼ポール際に勝ち越し弾を運んだ。この年の副島さんは69試合出場(76打席)にとどまり、打率.212、2本塁打と苦しんだ。

 シーズン途中にはファーム降格も経験したが、折れそうな心を支えてくれたのが角富士夫2軍打撃コーチだった。「チームの状態は良い。必ず日本シリーズでチャンス来るから。レフトにホームランを打つ練習をしよう」と導いてくれた。

 逆方向に打つ練習を繰り返したところ、打撃の状態が向上。大舞台の一発につながった。「メチャクチャ状態が良くなったんです。下半身を使わないと打球は飛ばない。そういうことを考えて言ってくれたんだと思います。明確に言ってくれて、徹底したのが良かった」と感謝する。

 多くの人と出会ってきた野球人生。多くのライバルたちも存在したが、その中で自身を支えたのは、負けないという思いだ。桐蔭学園時代、高木さんも高橋さんも「すごいと思ったけど、負けてると思ったことはないです。負けないための努力をしようと思いました」と語る。同学年の松井秀喜さん(元巨人、ヤンキースなど)に対しても「絶対勝ててはいないけれど、負けていると思ったことはないです」と言う。こうした強い思いでNPB8年間を戦い抜いた。

(片倉尚文 / Naofumi Katakura)

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