決勝朝に知った衝撃事実「絶対に出られない」 信じた世界一…入院は「自分でよかった」
小林主将が選んだポジションは「小さな心掛けが大きな成果につながる」
台湾(台北)で開催された「第31回 WBSC U-18 ベースボールワールドカップ」は10日の決勝戦で、日本が台湾に2-1で勝利。悲願の初優勝を飾った。主将を務めた小林隼翔内野手(広陵)は決戦の朝、脳震とうのため出場できないことを知ったが「試合に出られなくなったのが自分でよかった」と仲間を思いやった。
歓喜の胴上げで5度、宙を舞った。小林の胸中は「すごく悔しかった。でも、試合に出られなくなったのが自分でよかった。本気で悔しかったんで……」。しまい込んでいた本音を漏らした。小林は3日の米国戦で、打球を追って橋本航河外野手(仙台育英)と激突。試合後に検査を受けてそのまま入院し、6日に退院していた。この日、WBSC(世界野球ソフトボール連盟)から「彼の出場は認められない」との連絡があった。
「なんで俺なんだ? とは思いませんでした。試合に出らられないと言われた時に、どうしても出たかったのは間違いないです。自分の状態としても出られる状態だった。ただ、他の選手に悔しい思いをしてほしくなかった。世界一を取れたので。(検査入院が)自分でよかったです」
準備万端だった。6日の退院後、馬淵史郎監督から「決勝はお前で行くと言われていた」と明かす小林は「コンディションを整えて作ってきた。もう、どうしようもないんですけど、決勝で活躍できるように準備していました。ずっと試合に出たいと思っていました」。気持ちを切り替えるしかなかった。
試合出場は不可能だが、ベンチ入りメンバーには登録され、ナインを鼓舞した。「(試合に)絶対に出られないので、少しでも選手とコミュニケーションを。話す機会を得られる場所はバット引きだと思ったので、自分がその役割を選びました」。フォア・ザ・チームの精神を貫いた。
大会初優勝を飾ると「自分以外の他のチームメートが、この思いをしなくてよかった。どうやっても試合に出られないのはわかっていた。声(出し)だとか、ベンチワークだったり、小さな心掛けが大きな成果につながると思って、動いていました。主将としての声を徹底して、そこで貢献するしか今日はなかったので」。首に下げた金メダルが、小林の姿勢を照らした。
(真柴健 / Ken Mashiba)