松田宣浩は巨人で何を得たのか? 鷹との違い…多くを学んだ“プラス1年間”の意義

引退会見を行った巨人・松田宣浩【写真:小林靖】
引退会見を行った巨人・松田宣浩【写真:小林靖】

現役生活18年、会見中に訪れた2度の長い沈黙と涙…

 巨人の松田宣浩内野手が28日、都内のホテルで引退会見を行った。17年間活躍したソフトバンクを昨季限りで退団し、巨人で1年間プレー。今季1軍では11試合、打率.071にとどまっており、通算1832安打のうち、巨人ではわずか1安打(28日現在)に過ぎないが、それでも松田の“プラス1年”には大きな意義があった。

 会見中、何度も声を震わせ涙を流した。昨オフの巨人入りの経緯を振り返った際、「約1年前、原監督さん、球団関係者の皆さんとのご縁で、読売ジャイアンツの一員になることができました。その時に原監督さんから『ムードメーカーではなく、戦力として考えている』という……」と言ったきり絶句し、12秒間沈黙。うつむいたまま、ハンカチで目頭を押さえた。

 その後、「戦力として考えていただけているという温かいお言葉をいただいて、ジャイアンツに飛び込んできました」と続け、「結果を出せなかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と無念さもにじませた。

 2度目の沈黙は、「野球少年の頃は家族みんながジャイアンツファンで、みんなでテレビの前で応援していました」と振り返った時だった。「それくらいジャイアンツのことが好きでした。だから最後……こういう……」と声を震わせ、17秒間絶句。その後「ジャイアンツのユニホームを着て野球生活を終えられることは、本当によかったと思います」と言葉を絞り出した。

 長年チームの顔として活躍したソフトバンクで、野球人生のピリオドを打つ選択肢もあった。あえて新天地を求めた最大の理由は「40歳までプレーしたい」という強い思いがあった。「昨年途切れるかという時に、チャンスをくださったのがジャイアンツ。感謝の気持ちでいっぱいです」と頭を下げた。今年5月17日の誕生日で目標の40歳に到達した。

引退会見に参加した内川聖一氏、巨人・松田宣浩、坂本勇人(左から)【写真:小林靖】
引退会見に参加した内川聖一氏、巨人・松田宣浩、坂本勇人(左から)【写真:小林靖】

2軍で積極的にアドバイス、若手の活躍が「自分のことのようにうれしく」

 今季は2軍暮らしが長かったが、ドラフト1位ルーキーの浅野翔吾外野手、同2位の萩尾匡也外野手ら若手へ、積極的にアドバイスを送る姿が見られた。松田は「特に(引退を決意した)9月に入ってからは、若い選手がヒット、ホームランを打って喜んでいる笑顔を見て、自分のことのようにうれしくなっている僕がいました」と胸の内を明かす。“見守り、教える立場”を経験したことは近い将来、指導者となった時に生きるのではないだろうか。

 会見の最後にはサプライズで、巨人・坂本勇人内野手と、ソフトバンク時代の同僚・内川聖一氏が登場し花束を贈呈した。通算2000安打も通過した後、あえて現役最後の2年間(2021、22年)をヤクルトで過ごした内川氏には、1歳下の松田の現在の心境がよくわかる。

「もちろん1球団で通す現役生活も素晴らしいと思いますが、僕は『やり切った』と納得して辞めることが一番大事だと思っています。試合に出られたか出られなかったかは、結果に過ぎない。そういう意味で、僕を最後に受け入れてくれたヤクルト球団に感謝していますし、マッチ(松田)もジャイアンツに感謝していると思います」とうなずく。

 内川氏はヤクルトでの2年間では、計45試合、打率.217(69打数15安打)、0本塁打3打点に終わったが、「多くの学びもありました。実は同じNPBでも、球団によって“当たり前”が違い、それぞれ違う良さがあります。それに気付けたことで、見識を広げることができましたし、将来“伝える立場”になった時に役立つと思っています」と語る。昨季限りでNPBを引退した後も、今年1年間、故郷の九州アジアリーグ・大分B-リングスでプレーした。

 もちろん、野球選手の中で「やり切った」と納得するまで需要があり、現役を続けられるのはほんの一握り。そういう意味で、松田の現役生活は非常に幸せだったと言えそうだ。「“野球界の松岡修造さん”という風な、熱い人間になることを目標に次のステップに入っていきたい」と語る第2の人生は、ファンにとっても楽しみだ。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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