大谷翔平の代理人はどんな人? 去就のカギ握る男…全身骨折でメジャー諦めた壮絶過去
米メディア「ジ・アスレチック」が球界関係者に聞いたバレロ氏の過去に迫る
エンゼルスからフリーエージェント(FA)となっている大谷翔平投手の去就は秘密裏に進められている。情報統制を敷いているのは、代理人を務めるネズ・バレロ氏とその事務所「CAAスポーツ」と言われている。大谷の代理人を務める男はどんな人なのか。米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」では、バレロ氏の過去を知る球界関係者に話を聞き、素性に迫った。
バレロ氏はかつてマリナーズのプロスペクトだった。有望株として1985年夏のMLBドラフトで4巡目でマリナーズ入団。わずか1年で2Aに昇格するなど、上り調子だったが、マイナーはメジャーとは違い薄給。23歳のバレロ氏は新婚だったこともあり、オフシーズンに副業を行っていた。
建設業に従事していたが、建設現場で足を踏み外し、40フィート(約12メートル)下に落下した。背中、骨盤、肋骨を骨折、右手親指を脱臼し、重度の脳震盪を起こした。以前ロサンゼルス・タイムズ紙のインタビューでは「下半身は脊椎に短剣を刺されたような感じだった」と語っていた。
同紙によると17日間の病院生活。懸命なリハビリで1987年のシーズン最終戦で復帰したが、選手として以前の輝きを取り戻すことはできなかった。1988年シーズンを最後にマリナーズはバレロ氏を放出。その後、イタリアでプレーしたが、2シーズンで引退。ベースボールスクールを運営するなどして、徐々に成功し、代理人に転身した。
大谷の二刀流を現実的に…元同僚「成功を収めていることに驚きはない」
当時のマリナーズではケン・グリフィーJr.を含む14人がのちにメジャーリーガーになったが、多くの選手がバレロ氏のことを覚えていたという。同僚だったオマー・ビスケルは当時英語をあまり話せなかったが、バレロ氏が熱心に教えていた。「かなり外向的な男で、ハッピーな性格だった。とてもフレンドリーで、いつもみんなに話しかけていた。いい奴だと思ったよ」とビスケルは感謝する。「彼が代理人として、成功を収めていることに驚きはない」と振り返った。
2018年、大谷の代理人を務めると、バレロ氏は二刀流を現実的なものにする可能性を提示した。当初、大谷のメジャーでの二刀流は「現実というよりは概念(アイデア)」。CAAスポーツのオフィスで球団に売り込み、エンゼルスで二刀流を実現させた。
あれから6年、大谷は初のフリーエージェント(FA)になった。右肘の手術で来季は登板しないことが決まっているにもかかわらず、契約規模は5億ドル(約734億円)から6億ドル(約882億円)にも上ると言われている。「ジ・アスレチック」では「彼の最初のフリーエージェンシーは、今回とは、著しく異なっている」としつつ、「そんな違いはあっても、まぎれもなく不変のものがある。バレロ氏がオオタニのそばにいることだ」と言及。紆余曲折あった野球人生を過ごした男が、大谷の“Xデー”のカギを握っている。
(Full-Count編集部)