松坂大輔より「凄い球」…恐怖のキャッチボール 43歳で急逝の剛腕、元同僚が偲ぶ“伝説”
台湾出身の張誌家さんは2002年~2006年に西武に在籍…実動3年で26勝
2002年から2006年まで西武に在籍した台湾出身の張誌家(チャン・ズージャ)さんが、43歳の若さで死去したと台湾の中央通信社が2日に報じた。訃報を受け、現役時代を共に過ごした“盟友”が思い出と共に故人を偲んだ。
日本球界では「松坂世代」といわれる1980年の生まれの張誌家さん。同世代の長田秀一郎ファーム投手コーチは「キャッチボールが凄かった。ボールが顔の大きさくらいに感じるほどの勢いがあった。松坂大輔も凄かったですけど、それより凄い球。こんな投手が同級生にいるんだ、勝てないと思いました」と語った。
赤田将吾外野守備走塁コーチも「私は野手でしたが、キャッチボールをする機会があって、その時に怖いと感じました。(松坂)大輔とは違う球の強さ。まっすぐ、チェンジアップと予告されるけど、球種がわかっていて捕るのに必死になるんだから、こんな球打てないなと思った記憶ありますよ」と懐かしんだ。
野田浩輔バッテリーコーチは何度もバッテリーを組んだ。実動は2002年からの3年間だったが、計26勝で完封も4度あった。「特殊な球でした。そんなに速くないんです。144〜145キロなのにバットに当たらない。キレなのかな。捕っていて、そこまで感じたことはなかったんですけどね。だから組んでいて面白かったです」と振り返った。
来日前に台湾でCDデビュー、バッテリーミーティングでは「そんなの関係ない」
豪快な性格で驚きのエピソードも。張誌家さんは来日前に台湾でCDデビューしており、西武入団直後に当時は寮生活だった赤田コーチの部屋で盛り上がったという。「チャンのCDをガンガンにかけながら、楽しくお酒を飲んだのが思い出ですね。同じ年齢で、めちゃめちゃいいヤツでした。ただ、毎オフごとに太っていきましたけど」と赤田コーチは笑った。
野田コーチは入団1年目の初登板前のバッテリーミーティングが忘れられないという。データを分析したスコアラーが傾向と対策を報告していると「そんなの関係ない。俺がちゃんと投げればこんなバッターに打たれることはない」と発言。野田コーチは「こいつ、すげーこと言うなと思いましたよ」と苦笑。その試合は好投したという。「でも、そんな性格が災いして、練習をやらなくなってしまったかな」。
張誌家さんは実働3年で63試合に登板、26勝19敗、防御率3.81をマークした。長田コーチは「いい投手でした。もっと長くやってもらいたかったですし、会いたかった。西武を退団した後は会っていないかな。まだ若いのに。ショックです」と早すぎる死を残念がっていた。
(湯浅大 / Dai Yuasa)