「何かがおかしい」異国で靭帯断裂 転学、バイト、戦力外…波乱万丈の元虎戦士

台鋼ホークスの投手コーチ補佐を務める元阪神・福永春吾氏【写真:真柴健】
台鋼ホークスの投手コーチ補佐を務める元阪神・福永春吾氏【写真:真柴健】

台湾・台鋼ホークスで投手コーチ補佐を務める、元阪神の福永春吾

 急遽、転身したコーチ業に充実を感じている。元阪神の福永春吾投手が、昨秋から台湾・台鋼ホークスの投手コーチ補佐を務めている。「とてもやりがいを感じますね」と笑顔で話す29歳は2020年に阪神から戦力外通告を受けて以来、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスやメキシカンリーグなどを経て、昨季まで台鋼ホークスでマウンドに上がり続けていた。

 17歳で1度、白球と別れを告げた右腕が、2度目の“引退”を決めたのは2023年8月中旬だった。7月18日の登板で右肘を負傷。患部の状態を確認しながら次回登板の調整も行っていたが「何かがおかしい……」と感じ、病院で精密検査を受けた。診断結果は「靭帯断裂」だった。

 不屈の魂を持ち、3か国で「プロ野球選手」として奮闘した29歳は決意を固めた。「引退します」。8月21日、人生で2度目の現役引退が発表されると、すぐに「投手コーチ補佐」に就任した。「本当にありがたいですよね。今は選手として、ではなくて選手の成長を見守る役割をさせてもらっています」。何度も涙を流した野球人生だったからこそ、素質ある20歳前後の投手が羨ましい。

「僕はどちらかと言うと、苦労してきた野球人生でした。高校2年で2回、右肘を骨折して(金光大阪から)転学したり、転学先に野球部がなくてアルバイト生活だったり……。公園や河川敷でスパイクを履いて走ったり、壁当てをしたりする毎日でした。嬉しいことに、野球をプレーしたことのない人がキャッチボール相手に立候補してくれることもありましたから(笑)。今の選手は能力も高くて、恵まれた環境に身を置きながら練習できている。意識次第でどんどん伸びてくれると思っています」

 転学、未入部、独立リーグ、戦力外……。思い出すのは悔しい経験ばかりだが、福永は目を細めて言う。「コーチングの時は、その話は少し横に置いておきます。スタートの時点で(選手の能力が)違うので、絶対に比べてはいけないんです。自分の経験は1つのサンプルであって、その選手に当てはまるものではないので」。今春、30歳を迎える苦労人に、また味気が出てきた。

立場が変わっても輝く目…「若い投手が日々成長してくれるのが楽しい」

 夢を諦めず、2016年ドラフト6位で阪神に入団した22歳の頃、福永は言っていた。「自分で自分の能力を制限してはいけない。頑張った分だけ、報われる世界に入ることができた。支えてくれた方々に感謝して、毎日、一生懸命に練習ができて、美味しいご飯が食べられる生活に感謝したい」。阪神在籍4年で1軍登板は7試合。2軍で投手タイトルを獲得しても1軍の壁は厚かった。

 ただ、目の輝きは変わっていない。「今は若い投手が日々成長してくれるのが楽しい。どんどん変わっていくのが、短期間でも目に見えてわかります」。マウンドに立ち続けることにこだわって海外リーグに挑戦した右腕は、現役引退に悔いはない。

「引退……。意外とスッと言えました。怪我したら終わりの世界。1度でも契約が途切れたら、そこで終わり。日本を飛び出した時点で(引退を)少しは考えていました。野球をいつか辞めないといけないと、腹を括って海外で野球をしていたので。ここ(怪我)が引き際だなと」

 腕が振れなくなるまで、白球を投げ続けた。心の炎は消えない。立場は変わったが、グラウンドに生き続けている。

(真柴健 / Ken Mashiba)

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