開幕スタメン→7か月後に戦力外「まじで?」 通告前日…朝食中に受けた“指令”
西武、ヤクルトでプレーした田代将太郎氏、引退を翻意した“先輩たちの言葉”
プロ野球は、まもなくキャンプインを迎える。毎年、多くのルーキーがNPBの門を叩く一方、その分ユニホームを脱ぐ選手たちがいる新陳代謝の激しい世界。実績を残せなければ、戦力外が待っている。現役生活の岐路は、突然やってくる。西武、ヤクルトでプレーし、2020年に現役を引退した田代将太郎氏も、予想外の通告を受けたひとりだった。
八戸大から2011年ドラフト5位で西武に入団。なかなか1軍で存在感を示せないシーズンが続いたが、6年目の2017年に自身初の開幕スタメンを勝ち取った。登録抹消と昇格を繰り返しながら、当時自己最多の38試合に出場。ただ、打撃不振もあり打率.071と苦しんだ。シーズン終了後は秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」に参加していたが、その期間中に東京に戻るように言われた。
「朝ホテルでお風呂に入って、朝食を食べているときにマネジャーから『ディレクターの部屋に行ってくれ』と言われました。部屋に行ったら『何かわからないけど、これから支度をして明日の(午後)2時に球団事務所に行ってくれ』と言われて。『何かな。トレードもこの時期あるっていえばあるし……』と考えていました。チームメートにも『帰るわ』ってあいさつしたんですけど、みんな『大丈夫でしょ。何かあるんじゃない?』と言っていました」
翌日、球団事務所で言い渡されたのは、戦力外だった。全くの予想外で「まじで? どうしよう」と混乱した。確かに、結果は出ていなかった。だが、この年から辻発彦監督が就任し、徐々に出場機会が増えている実感はあった。フェニックス・リーグも、1番でフル出場していた。
西武戦力外→ヤクルト1年目に自己最多の73試合出場
「結果を出せなかった僕が悪いんですけど、開幕スタメンで、試合にも使って下さって、まさか戦力外になるとは思わないじゃないですか。フェニックスもずっとスタメンで使ってくれて……。でも今考えると、当時の潮崎(哲也)2軍監督が、他のチームに見せてくれていたのかなと思うんです。(この後戦力外になっても)まだ現役でやれるからという思いで、(フェニックス・リーグで)僕をずっと使ってくれていたんじゃないかなって……」
通告を受けた当初は「もうこんな思いはしたくない」と投げやりになり「野球は辞めよう」と思った。だが、かつて西武でコーチを務めていた河田雄祐氏(現ヤクルト2軍外野守備走塁コーチ)から「明日から動け」と言われ、当時チームメートだった渡辺直人氏(現楽天ヘッドコーチ)には「辞めることはいつでもできる。誰のためでもいいから、野球を続けろ」と説得された。あたたかい先輩たちに背中を押され、翻意した。
12球団合同トライアウトに参加後、ヤクルトから声がかかり、3年間プレー。加入1年目の2018年にはキャリア最多の73試合に出場した。与えられたのは36打席ながら、打率.323と気を吐いた。その後は徐々に出場機会を減らし、2020年に2度目の戦力外。「西武時代より1軍で試合に出場しましたが、他の人より使いたいと思わせる成績を残せていなかった。『やっぱりか。きたか』と覚悟はできていました」。再びトライアウトに参加したがオファーはなく、現役を退いた。
引退後は知り合いの紹介でアクサ生命保険に入社し、保険の営業マンとして勤務。2023年からはライオンズベースボールアカデミーのコーチに就任し、再び西武のユニホームに袖を通した。「野球に携わりたい気持ちが強かったですね」。2度の戦力外をへても、野球が好きな気持ちは変わらない。田代氏は今、子どもたちとともに充実した日々を送っている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)