西武ドラ3・杉山遙希に「負けたくない」 怪我を乗り越え…横浜高・鈴木楓汰が選んだ社会人
兄はロッテの鈴木昭汰…楽天・藤平尚真に憧れて茨城から横浜高へ
2023年秋のドラフトで、西武から3位指名を受けた横浜高校・杉山遙希。1年夏、2年夏と甲子園の土を踏み、3年夏はのちに日本一を果たす慶応と5-6の激闘を繰り広げた。神奈川3連覇こそ逃したが、横浜のエースとして最後までマウンドを守り抜いた。
エースをサポートする形で、背番号「11」を着けてベンチに入っていたのが鈴木楓汰だった。茨城の筑波ボーイズ出身で、7つ上の兄はロッテでプレーする鈴木昭汰。自宅から通える距離に、兄の母校でもある常総学院があったが、U-15で兄のチームメートだった藤平尚真投手(楽天)に憧れて、横浜の門を叩いた経緯がある。
「慶応に負けたあと、杉山から『ごめん、ごめん』と泣きながら言われて、『いやもう、お前のせいじゃないよ』って」
同じポジションということもあり、入学時から行動をともにすることが多かったという。「3年間、一番長い時間を過ごしたのが杉山かもしれません」と笑う。
「寮の部屋は違ったんですけど、杉山の部屋に行くことが多くて、トレーニングの仕方から音楽のことまでいろんな話をしました。杉山はONE OK ROCKが大好きで、『楓汰も聴いてみなよ』と言われてから、自分も自然に好きになって。一緒にいる時は、いつもONE OK ROCKを聴いていた感じです」
杉山は自身の性格を、「人見知りで、環境に慣れるまでに時間がかかるタイプ」と語るが、「入学して、最初に声をかけてくれたのが楓汰だった」と嬉しそうに話していたことがあった。
2年秋、右肩の違和感で戦線離脱「肩が外れる感じがあった」
2年夏の神奈川大会、横浜隼人との5回戦は終盤までもつれた。先発の杉山が試合を作り、9回表を終えて2-2の同点。9回裏、1死満塁の大ピンチを招くと、村田浩明監督は鈴木をマウンドに送った。
「投げる前に、監督さんから『自信を持って投げてこい!』と言われて、強気に腕を振りました」
絶体絶命のピンチを、気迫のこもったストレートで浅いセンターフライとライトフライで凌ぐと、10回表に2点を勝ち越し、4-2で勝利した。
準々決勝の藤沢翔陵戦で、再び杉山、鈴木のリレーで勝利すると、準決勝の立花学園戦では、先発を任され6回1失点の完投勝利(6回コールド)。決勝では、杉山が東海大相模を1-0で完封し、左右の両輪で甲子園を掴み取った。
甲子園では2回戦で打者ひとりの登板だったが、小さい頃からの憧れのマウンドに立つことができた。「新チームでは、杉山とエースの座を争いたい」。友達でもある杉山に、ピッチャーとして勝ちたい。強い気持ちで臨んだ新チームだったが、すぐに異変が起きた。
県大会前の練習試合で、右肩に違和感を覚え、「肩が外れる感じがあった」と振り返る。少し休むと痛みが取れたため、県大会の準々決勝で登板したが、自分が思い描いていたボールをまったく投げられなかった。その後、再び肩のコンディションが悪化し、戦線を離脱した。
「野球を始めてから、一番の大きな怪我でした。病院で診てもらって、手術する選択も勧められました。でも、手術をすると最後の夏には間に合わない。それに、肩の場合は、手術をしたからといって100パーセント治るかわからない……という話も聞いて、肩を休ませて、インナートレーニングなどで補強する選択を取りました」
「今できることをやろう」と心に誓ったが、グラウンドに行けば、仲間が練習をしている姿が目に入る。ボールを投げられないこと、全体練習に入れないことが、「本当に苦しかった。遅れを取っているのがわかっていたので、焦っていました」と正直な想いを明かす。
年明けに泣きながらかけた母への電話
肩を休ませることで、コンディションが上がった時期もあった。年末年始、茨城の実家に帰省した時には、「年明けから投げられるかもしれない」と両親に伝え、横浜の寮に戻った。
しかし、キャッチボールの強度を上げていくと、また痛みが出る。その夜、鈴木は泣きながら母親に電話をかけた。
「また、投げられない……」
「そんなにうまくいくことも少ないと思うから、気を落とさずに今できることを頑張りなさい」
母とは何でも相談できる仲だという。
仲間も支えてくれた。杉山は「夏にまた一緒に投げよう」と励ましの言葉をくれながらも、寮にいるときは、野球以外の話で鈴木の心を軽くしてくれた。
中学時代のチームメートの存在も大きかった。筑波ボーイズからつくば秀英高校に進んだ左右田(さうだ)悠翔というピッチャーがいる。「中学のときからの一番の友達で、めちゃくちゃ明るい子です。怪我したことをLINEで送ると、心配してくれながらも、重く受け止めすぎずに、いつもどおりに元気をくれて。それが嬉しかったです」。
ひとりでふさぎ込んでいたら、どんどん気持ちが落ちていったかもしれない。「両親、指導者、仲間、病院の先生、もう本当にいろんな人が支えてくれて、心が軽くなったというか、感謝しかありません」。
帽子には、『恩返し』と書き入れた。元気な姿でマウンドに上がることが、お世話になっている人への恩返しになる。
3月には、まだ100パーセントの状態ではなかったが、実戦に復帰。夏の大会は3回戦の戸塚戦に先発し、5イニングを無失点に抑えた。これが公式戦最後の登板となった。
今春に日本製紙石巻に入社…目指すべき3投手の存在
今春から、日本製紙石巻に入社する。チームメートの多くが大学に進む中で、あえて社会人を選んだのには理由がある。
「1年でも早くプロに行きたい。高いレベルで揉まれることで、自分のピッチングを高めていきたいと思っています。社会人相手にでも、逃げずに立ち向かっていく、自分のスタイルを出していきたいです」
トレーニングによって、肩の状態にも不安がなくなり、140キロ前後のストレートをコンスタントに投げられるところまで回復。3年夏を終えたあとは、兄も通っているトレーニングジムで体を鍛え、「筋肉のひとつひとつが強くなり、体が変わった実感があります」と成長を実感しているところだ。昨夏67キロだった体重は、78キロにまで増えている。
「怪我もあって何度もカベにぶち当たったんですけど、いい仲間に出会えて、横浜高校に来て良かったと本当に思います。寮で一緒に過ごす時間が長かったので、家族のような存在でした。指導者の方には、挨拶や礼儀、言葉遣いなど、人として大切なことをたくさん教えていただきました」
鈴木には、目指すべき3人の投手がいる。憧れるのは、小学生の時から見てきた藤平だ。兄の応援で小学2年時にU-15の大会を観に行ったとき、閉会式で撮影したツーショットは今も宝物になっている。
「高校2年生の冬、藤平さんが横浜高校で自主トレをやっていた時があって、久しぶりにお会いしました。『昭汰の弟か。久々やな。頑張れよ!』と言われて、嬉しかったです」
尊敬するのは兄・昭汰だ。怪我をした時には、相談にも乗ってもらった。
「小さい頃はケンカばかりしていたんですけど、兄が高校生になってからは、野球の話をたくさんするようになりました。お互いが実家にいる時は、今でもキャッチボールをします。兄のボールはやっぱり全然違う。去年の夏にキャッチボールをした時には、『この、真っ直ぐじゃ通用せんな』と言われたんですけど、正月には『この前よりは結構良くなっている』と言ってもらえて、ちょっと自信になりました」
そして、ライバルとして見据えるのが杉山だ。友達であるが、負けられない。
「先にプロに入って、『やっぱりすごいな』という気持ちと同じぐらい、悔しさがあります。杉山がプロに行ったことで、プロへの想いがより強くなりました。これから先も杉山に追いつきたいですし、負けたくないです」
3年後、同じプロの世界へ。まもなく、勝負の地、石巻に旅立つ。
(大利実 / Minoru Ohtoshi)
○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。