135キロが155キロに感じる“錯覚”「普通じゃないですよ」 やっかいだった中日左腕

阪神戦でノーヒットノーランを達成した中日・山本昌【写真提供:産経新聞社】
阪神戦でノーヒットノーランを達成した中日・山本昌【写真提供:産経新聞社】

41歳でノーノーの快挙…山本昌は「ずーっと速かったです」

 元阪神内野手の関本賢太郎氏は現役時代、数多くの投手と対戦した。そのなかで「強烈ナンバーワン」として名前を挙げたのは中日の山本昌投手(現・野球評論家)だ。ストレートの球速は130キロ台が中心のサウスポーだったが、打席での体感速度はそんなものではなかったという。「普通じゃないですよ。ずーっと速かったです」。関本氏がプロ10年目の2006年、阪神は41歳1か月の山本昌にノーヒットノーランも食らった。

 2006年の関本氏は132試合に出場。規定打席には届かなかったが、打率.301、9本塁打、33打点の成績を残した。7月下旬から「2番・三塁」でレギュラーに定着。主砲の金本知憲外野手には「よく食事に連れていってもらった」という。「カネさんは背中で引っ張るタイプなので、細かいことは言わないんですけど、僕自身、手が下がる自分の打ち方が嫌いだなって思っている時に『お前がチームで一番いいバッティングをしているな』って言われた時があったんです」。

 その言葉が関本氏には大きな励みになった。「胸張れる数字ではなくても、1軍選手としてそれなりにやっていたけど、これでもいいんだ、自信を持っていいんだって、それからそう思うようになったのを覚えています」。考え方ひとつで結果も違ってきたのかもしれないが、そんな中、相手投手で、とりわけ打ちにくいイメージだったのが山本昌だった。

「バッターからしたら、球速表示よりも体感速度が速いピッチャーが嫌なんです。例えば155キロとかスピードガン表示が出て、打席に入っても155キロだったら、バッターって対応できるんです。それが昌さんは135キロとかの表示で体感速度が150キロとかのボールを投げてくるんで、めっちゃ、速いわけですよ。体もでかいし、独特なフォームだし、強烈ナンバーワンだったんですよ」

 2006年9月16日の中日戦(ナゴヤドーム)で阪神打線は、山本昌にノーヒットノーランを許した。「2番・三塁」の関本氏はレフトフライ、送りバント、見逃し三振。当時41歳の山本昌だが、年齢は関係なく「ずーっと(体感速度は)速かった」という。「135キロで200勝(通算219勝)とかされたんですから、そりゃあ速いですよね。普通じゃないですよ」と舌を巻いた。

元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】
元阪神・関本賢太郎氏【写真:山口真司】

関本賢太郎氏は二塁手の連続守備機会無失策のリーグ記録を樹立

 大ベテランは2015年に50歳でユニホームを脱いだが、その年に関本氏も37歳で引退。年齢差はかなりあっても、最後まで戦った思い出に残る投手でもあったわけだ。そして、山本昌が巧みな投球術で相手打者を翻弄したように、関本氏も攻守にわたるオールラウンドプレーヤーとして、相手に嫌がられる選手に成長していった。プロ11年目の2007年に二塁手の連続守備機会無失策804(2005年5月3日から2007年8月23日まで)のセ・リーグ記録を打ち立てた。

 8月1日にそれまでのセ・リーグ記録だった中日・立浪和義内野手の712を抜き、最終的に804まで伸ばした。「その間にサードでエラーをしているので、僕自身はノーエラーじゃなかったんですけどね。決して守備範囲が広いタイプじゃないですけど、自分のモットーは“自分の守備範囲は絶対アウトにする”だったから、それができたのかと思います。大きなものではないですけど、うれしかったですね」と微笑んだ。

 2008年には7月25日の中日戦(甲子園)で中日・川上憲伸投手からプロ初の満塁ホームランを放ち、6月17日の楽天戦(甲子園)では1試合4犠打も記録した。長打あり、小技あり。スタメンでも打順は何番でもOK、さらには代打でも、守備固めでもチームに貢献した。試合に出るために何でもこなせる選手を目指した関本氏の存在感は増すばかりだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY