吉田正尚が開幕カードで見せた“矜持” 難しい状況でも生むヒット…「食らいつきながら」【マイ・メジャー・ノート】
吉田正尚が見せた“ハイレベル”な技術
■Rソックス 5ー1 マリナーズ(日本時間4月1日・シアトル)
レッドソックスの吉田正尚外野手が3月31日(日本時間4月1日)、敵地・T-モバイル・パークで行われた開幕カード第4戦に「5番・DH」で出場。2打席凡退後の6回、先頭で迎えた第3打席で遊撃内野安打を放ち、開幕から4試合連続安打を記録した。チームは2本の本塁打を含む10安打を放ち5-1で快勝。同カードを2勝2敗で終えた。【シアトル(米ワシントン州)=木崎英夫】
吉田は第2戦後の囲み取材で「常に、いちばんいいスイングがホームランになると思っている」と言った。この日も内角に目付をして力強いスイングで向かっていった。しかし、この日は、ここまでなかったプロセスを踏む機会に恵まれた。
相手先発は速球を軸に組み立てる右腕のブライス・ミラー。1、2打席目は二ゴロ、高々と打ち上げる右邪飛に打ち取られると、中継ぎに代わった6回の第3打席で絶妙なバットコントロールを見せた。
2番手右腕ボルトンと対峙。
タイミングが合わなかった内角のカットボールと外寄りのチェンジアップを見逃し、カウント0-2と追い込まれた。3球目、相手バッテリーは外角低めへのチェンジアップで誘う。吉田は上体をかがめてバットを合わせると、ライナーの打球がボルトンの右足付近を襲い、ショート右へと転がった。カバーしたクロフォードは送球を諦めた。
前日までに放った3本のヒットとは違い、狙い球が絞りにくい打者不利のカウントからのヒットだった。三振で終わりたくないという打ち気を失わなかったのが勝負の明暗を分けた。
「最後は手で(バットの)面を返さずにうまく打てました。追い込まれたら追い込まれたで食らいつきながらというところは思っています」
耳に残るイチローの言葉「好きな球を待っていたら終わってしまう」
バランスを崩されるも右手の甲を立て続けて、ボールを拾った吉田の姿に立ち上がってくる至言がある――。この球場で眩いばかりの輝きを放っていたイチローの言葉は今もなお、記者の耳に残る。
「自分がまったく予想してない球が来たときにどう対応するか。それが大事。試合では打ちたい球はまず来ませんから。好きな球を待っていたら終わってしまう」
内野安打で決めた4試合連続安打は打者の精神的な味わいを豊かにするものであったはず。もっとも、真骨頂の“マン振り”で挑んだ場面もあった。
一塁走者が二盗に失敗し、2球で攻守交替となった5回の打席。吉田は、初球の真ん中に入るカットボールを渾身のスイングで空振りした。体は反転し、最後は左膝を地面に着ける強振に、2万9千人が見つめる客席からは感嘆の声が上がった。
「それを捉えられるのがベストですけど、タイミングが合わないとああいうスイングは多分できないと思うので。そこは良い準備ができているかなと思います」
開幕戦では「凡打になってもいい」と、理想のスイングを徹底することで導き出した初安打を放った。第2戦では剛球右腕との心理戦を制し158キロの直球を打ち返した。第3戦ではバットが遠回りしないようにボールの内側を叩く意識付けをするために「ボール2個分」の幅を描いてバットのヘッドを入れていく独特のイメージ法で初打点を挙げた。
「フォーム」「駆け引き」「スイングイメージの言語化」、そして「打者不利カウント」での対応の仕方を4本のヒットで練った。それでも一回性を宿命とするのが打撃。まったく同じ球が来なければまったく同じ振りも再生はできない。だからこそ野球は選手を謙虚にさせる。吉田は言った。
「初球からしっかりいける準備をして打席に入りたい」
冷たい風が肌を刺すシアトルでの開幕4連戦は「バットマン・吉田正尚」の現在地を測るリトマス試験紙であった。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。【マイ・メジャー・ノート】はファクトを曇りなく自由闊達につづる。観察と考察の断片が織りなす、木崎英夫の大リーグコラム。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)