OP戦なのに「もう1イニング行ってくれ」 狂った歯車…登板辞退で一変した監督の表情
工藤一彦氏は14年目のOP戦で右肘痛を再発させた
1イニングが流れを変えた。元阪神投手の工藤一彦氏には、現役晩年の苦い思い出として忘れられない試合がある。プロ14年目の1988年3月9日、甲子園球場での西武とのオープン戦。「先発して5回を無失点に抑えたんやけどな」。それで終わりのはずが、予定変更で続投となり、最悪の事態が起きたという。「あれ、何かおかしいなと思った」。最も気をつけていた右肘痛の発症。そこからすべてが暗転したという。
工藤氏にとって、1988年は本来なら先発復帰シーズンになるはずだった。「村山(実)さんが監督になった時、(芦屋の)竹園旅館に呼ばれて『ベテランで先発で投げるヤツはお前しかいない。猪俣(隆投手)とか遠山(昭治)とか若い奴を引っ張っていってくれ』と言われた。『わかりました。頑張りますわ』って言ったんだけどね……」。右肘に不安がなかったわけではないが、指揮官に期待され、意気に感じてキャンプ、オープン戦に臨み、調整は順調だった。
流れが変わったのが3月9日の西武戦だった。「無茶苦茶調子がよくて、村山さんも『見てみい、工藤がすごいぞ』と周りに言っていた。予定の5回を投げて無失点。それで終わりだから、俺は着替えていたんよ。そしたらコーチが来て『もう1イニング行ってくれるか』って。その時(阪神の)攻撃も長かったんだよね。それで、また投げにいったら、肘がおかしくなって……」。
追加の1イニングを何とか投げ終え、しばらく様子を見たが、改善しなかった。「肘のことは村山さんに言っていなかったけど、さすがに開幕が近くなった時には『投げられません』って言いに行った。そしたら、村山さんの表情が変わったなぁ……」。先発復帰の話もすべてなくなった。その年の1軍初登板は8月26日の広島戦(甲子園)にまでずれ込んだ。そこから、すべてリリーフで12試合に投げ、0勝1敗、防御率4.67で14年目シーズンは終わった。
村山監督が「投げさせい」…続投指令で“暗転”
15年目の1989年はさらに状況は悪くなった。5登板で0勝0敗、防御率9.39。開幕から2軍で調整し、5月下旬に1軍昇格し、先発は5月24日の中日戦(ナゴヤ球場)の1試合だけ。それも2回1/3を3失点で降板となった。中日・彦野利勝外野手に手痛い一発を浴びた。6月からは再び2軍生活。工藤氏はむなしそうに当時を振り返った。
「先発した日は試合前ミーティングで、スコアラーから『インサイドに投げてくれ、(中日打線は)みんな弱いから』って話があった。そんなもん、どうかなって思っていたけどね。彦野の時もキャッチャーの岩切(英司)がインサイドのサインを出すから、まあいいわと普通に投げたら、カーンと打たれてホームラン。あれは腹が立ったねぇ……」。うまくいかない時はそういうものなのだろう。まさに悪い流れにはまり込んだ証拠のような結果だった。
肘の状態も決して万全ではなかった。それだけになおさら、14年目の西武とのオープン戦での予定外の1イニング追加が悔やまれるわけだ。タラ、レバは禁物とわかっていても「あの時は村山さんが『投げさせい』って言ったらしいけど、続投しなかったら、5回無失点のいい形で終わっただけだったんだからね……」。
苦しい時期が一気に来た。ちょっとしたことで流れは変わる。工藤氏にとっては、たかが1イニングの話ではなかった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)