「もう無理」なのに堪えた注射 指揮官「見せしめだ」…FA交渉のはずが戦力外に「はい?」

元ロッテ・藤田宗一氏【写真:片倉尚文】
元ロッテ・藤田宗一氏【写真:片倉尚文】

「FAの話と思ったら…」藤田宗一氏は2007年オフにロッテを自由契約に

 想像だにしなかった。ロッテで2005年にリーグ優勝&日本シリーズ制覇、2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として優勝に貢献した藤田宗一氏は、2007年オフに自由契約となった。「球団側から『来季は契約しません』と言われて『はい?』『はい?』と2回くらい聞き直しました」。辛い1年を振り返った。

 藤田氏の2007年シーズンは、怪我との闘いでもあった。「自主トレの終わりくらいに肩をやってしまいました。年齢もあったかもしれませんが、体を作り直す中でパンプアップし過ぎた。体がついていかなかった」。1998年に25歳でプロ入りして以降、ほぼ毎年50~60試合前後リリーフし続けてきた鉄腕サウスポーは、異変を抱えてキャンプに臨んだ。

 この年はオーストラリア南東部ジーロングが1軍キャンプ地。第1クールでひとまずブルペンに入ってみた。「ある程度は投げられたので。でも肩の動きが何かいつもと違う。トレーナーと話をして、日本に帰り2軍で慎重に調整しようとなった」。ボビー・バレンタイン監督に願い出たが、撥ね付けられた。「理由はわからないです」。結局、豪州に滞在したままでブルペン投球は2度だけ。それも軽いキャッチボール程度に終わった。

 藤田氏はシーズン中にFAの権利を取得する見込みで、豪州では球団と意見交換もした。「ロッテで最後まで頑張りたい。マリーンズでユニホームを脱ぎます」。生涯ロッテの熱い思いを伝え、球団サイドも内諾していたという。

 公式戦に突入した。だが、肩は回復しない。「騙し騙しじゃないけれど……。思ったようなピッチングが全然できなかった」。初夏を迎えたビジターゲームで、とうとう限度を超えた。「痺れるんです」。我慢強いはずの藤田氏の直訴にトレーナーは深刻な状態であることを把握。2人で急いで指揮官の下へ説明に赴いた。

肩痛で注射2本…登板予定なしもまさかの指令「ちょっと作ってくれ」

 藤田氏が「投げられないので、もう無理です」と言うのだが、監督は「痛み止めの注射を打ちに行け」。さらには「試合では起用しないが、登録抹消はしない。1軍に帯同しなさい」と命令を下した。藤田氏は意図を推し測る。「名前でしょうね。相手ベンチとの駆け引き。リリーフ陣の中に藤田がいる、いないでは違う。僕の働きを、そして力を認めてくれてはいるんです。それに対して期待に応えたい気持ちはありました」。

 すぐに病院に行き、注射2本を打った。翌日は登板はないはずだった。球場内のロッカーで、短パン姿でテレビ観戦していた。そこへ投手コーチがやって来た。「ユニホームを着てブルペンに来てくれ」。驚いて「えっ、自分は投げないんじゃないですか」と返しても「ちょっと作ってくれ」。反故にされて、救援マウンドに立つ羽目になった。

「コーチは監督に言われたら従うしかありません。ボビーは勘違いをしていたのでしょう。肩が痛くても140キロ前後を計測していたので『お前、スピード出てるじゃないか』と。だけど自分で投げていて分かります。腕が振れない、ボールにキレがない」

 加えてFAに対する先入観を感じた。「メジャーの選手とか外国人は、大事を取って休養することがよくあるじゃないですか。そういう風な捉えられ方をされたのかも」。

 バレンタインは2004年から2度目のロッテ監督就任。勝利の方程式「YFK」を築いてくれた。“ボビー流”のリリーフ準備は「ブルペンに電話があってから投球練習」なのだが、藤田氏が「アップしてないと怖いから、その前にも投げて肩を作らせて」と主張すると「自分のやり方でOK」と容認してもらった。培われていた信頼関係が、この年はすれ違った。

 31試合で1勝2敗1セーブ。防御率12.64は藤田氏のプロ野球人生でワーストだった。

バレンタイン監督が球団フロントに「あいつをクビにしろ」

 シーズンオフ。藤田氏に球団から電話がかかってきた。自宅近くのホテルでの会談。夫人に「FAの話だと思う。今年は成績が悪かったから年俸はしょうがないけど、複数年の契約ができたらいいなぁ」と話して出掛けた。

 球団からは3人が出席。そして、いきなり「来季は契約しません」。藤田氏はショックが収まり切らなかった。親密な球団幹部との1対1の対談を要望した。

「キャンプの時には契約すると仰ってました。おかしくないですか?」。幹部は「悪かった……」。藤田氏が「ちゃんと話をして下さい」と問い掛けると、「ボビーが『あいつをクビにしろ。見せしめだ』と言うんだ」と絞り出した。

「監督が使わない選手が給料をいっぱい貰っている。そうなれば置いていても仕方ないですからね。そこは正しいとは思います」。球団の方針は理解できた。

「ボビーとの対話は通訳も間に入るので。外国人と日本人の微妙なところで分かり合えなかったのかな……」と藤田氏。「何ていうのかな、温かいんですよ」と表現する大好きなロッテを去るしかなくなった。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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