イチロー誕生秘話…「シナリオを神様が作った」 “孤高の天才”が生まれた、苦悩の2年間
松本正志氏が語る「イチロー」誕生への道のり
野球の神様がいなければ「イチロー」は誕生していなかったかもしれない。今年3月31日付でオリックスを退職した松本正志氏は、1977年に行われた夏の甲子園大会で東洋大姫路高を全国制覇に導いた。同年に阪急ブレーブスからドラフト1位指名を受けて入団。裏方に転身後はオリックスを含めて46年間のプロ野球人生を全うした。
数々の出会いがあったが、1991年ドラフト4位で入団してきた“鈴木一朗”外野手のインパクトは強烈だったという。松本氏は「僕は18歳から“鈴木”くんを見ていますけど、入ってきた時から喋り方や考え方は今と似ている部分がありますね」と笑った。
出会った当初から「ライナー性の柵越えばっかりで『これは凄いな……』と」と証言する。「でも、18歳の時は試合になったら“当て逃げ”ばっかりだと周囲に言われていましたね。僕の見ていた練習では間違いなく、強烈な打球を連発していました。(1軍の)遠征先でウエスタン・リーグの試合成績欄を見ていると毎日3打数2安打、4打数2安打でしたから」。期待の新星の1軍合流を楽しみにしていた。
「7月頃かな……? 1年目、初めて1軍に上がってきた時に『君が鈴木くんかぁ!』と思わず声を掛けてしまいましたね。本人は謙遜していましたけど(笑)。2軍では毎日打っていたけど、1軍で毎日1打席では結果を残せるタイプではなかった。2年目までは2、3回、1軍と2軍を行ったり来たりしていましたね」
「イチロー、何か気分の悪いことあったんか…?」
プロ2年目の1993年、開幕戦に「9番・中堅」として起用された。「土井(正三)監督も素質を認めていたと思います。でも、最初は打てなかったんです。あの時も、すぐ2軍に落ちましたね」。一呼吸して、言葉を前に出した。
「ただね、その時に活躍していたら『イチロー』じゃないんですよ。『鈴木』なんです。次の年の開幕前に『イチロー』になったから、そこまでの響きがなかった可能性もある。だから、2年目までは失敗じゃないんですよ。そういうシナリオを神様が作ったんじゃないかな」
裏方から見た「イチロー」はどう映っていたのか。「自分を持っていましたね。簡単に人を寄せ付けないです」。松本氏が“プロ”を感じた瞬間がある。冴えない表情のヒットマンに尋ねた。「イチロー、何か気分の悪いことあったんか……?」。答えはすぐに返ってきた。
「5打数5安打で『うれしいですか?』っていう記者の質問、僕はプロとしてどうかなと思います。どんな仕事でもプロならプロらしくいてほしいですよね、正志さん!」
プロフェッショナルには通ずるものがあった。
(真柴健 / Ken Mashiba)