「金額は少なくていい」残留熱望も…突きつけられた“現実” 元ロッテ助っ人退団の真相
クルーズは2014年から4年間日本でプレー「人生の中で最高の決断をした」
2014年から4年間、ロッテや巨人などでプレーしたルイス・クルーズ内野手が、ロッテ退団時の本音を激白した。40歳となった現在は母国のメキシコで家族と過ごしながら、今年のウインターリーグを「最後のシーズンになるのではないか」と見据える。Full-Countのインタビューで「千葉にもっともっといたかった。今でも思っているよ」と変わらぬ愛を口にした。
「人生の中で最高の決断をした」。クルーズが胸を張るのが、日本行きを決めた2013年オフのことだ。スプリングトレーニング招待選手として10チーム以上のオファーがあったそうだが「メジャーと3Aを行き来する状況に疲れていた。夢だったヤンキースとドジャースでのプレーも叶ったし、当時子どもが2人いてお金も必要だった」と様々な状況がかみ合い、海を渡ることになった。
来日1年目から126試合に出場し、内野全てを高いレベルで守った。2年目の2015年は133試合で打率.255、16本塁打、73打点。球宴出場、二塁手としてゴールデングラブ賞を獲得し、チームは3位でクライマックス・シリーズに進出してファーストステージで2位の日本ハムを撃破した。
「戦力的にはほかよりも劣っていたかもしれないけれど、2015年のロッテは一体感があって最強のチームだったね。涌井秀章、鈴木大地、益田直也、西野勇士、今江敏晃……彼らとは今でもインスタグラムを通じて連絡を取るくらい仲良し。あの年が日本でのキャリアで最高の1年だったよ」
米復帰視野も…GG賞獲得で翻意「日本でプレーする自分の価値が上がった」
しかし、2年契約だったクルーズはこの年限りでロッテを去り、巨人へ移籍することとなる。「条件面で折り合わず」とされていた退団の舞台裏について、クルーズは口を開いた。
「ロッテでの2年目が終わる頃、国際担当に『金額はほかのチームより少なくていいから2年契約でロッテに残りたい』と伝えていた。千葉という街もチームも大好きで、残って長くプレーしたいと思っていたから。ただ最終的にロッテから正式な話はなかったから、FAになりソフトバンクや巨人からの話を聞いた」
実はこのとき、ロッテ退団なら米国復帰という選択肢もあったのだという。再度日本でプレーしようと思ったのが、ゴールデングラブ賞の栄誉だった。「自宅のリビングで、通訳から報告の電話を受けたときのことは覚えている。藤田(一也)とか素晴らしい選手がいる中で、獲れるとは思っていなかったので驚いた。それで日本でプレーする自分の価値が上がったので、もう1回日本でやりたいということにもつながったよ」。
そして2016年から巨人のユニホームに袖を通したクルーズ。しかし「厳しい時間が多かった」という苦悩が待っていた。
(町田利衣 / Rie Machida)