笘篠誠治の運命を変えた「米国に行ってこい」 留学先で事故…顔面直撃で「骨が粉々」
笘篠誠治氏は入団3年目に米留学も…開幕早々に大怪我
西武で15年間プレーし、高い守備力と走塁技術で黄金時代を支えた“名脇役”の笘篠誠治氏は、入団3年目の1985年はカリフォルニア 州に本拠地を置くサンノゼ・ビーズの一員として過ごした。しかし開幕早々、試合中に顔面を複雑骨折して緊急手術。Full-Countのインタビューでは当時の壮絶な体験を告白した。
大阪・上宮高から入団3年目、春季キャンプ中に「終わったら今年はアメリカに行ってこい」。過去には秋山幸二や工藤公康も経験した、提携球団への野球留学を命じられた。ビーズはどこの傘下でもない独立したチームだったという。
異国の地での開幕早々、ジャイアンツとの1A戦で大アクシデントに襲われた。一塁走者だった笘篠氏は味方の二ゴロで二塁へ。ダブルプレーを狙った二塁手だったが、ベースカバーに入った遊撃手へ地面スレスレの低い送球となってしまった。遊撃手はバランスを崩しながら捕球し、そのまま一塁へ転送を狙ったが、目の前には笘篠氏が走り込んでいた。
「まさにスライディングをしようとしたところでした。向こうもなんとか無理な体勢から投げたところで、その瞬間に“ヤバい!”と。手でブロックしたかったけど間に合いませんでした。下から突き上げるように顔面にぶつかりました」
至近距離からの顔面直撃。「奥歯は吹っ飛びました。血が止まらない。グラウンドを汚してはいけないと、口の中からボタボタと垂れる血を、両手を皿のようにして受けながら退場しました」。
只事ではない緊急事態に、スタンドにいた観客が「俺の車を使え!」。グラウンドに鍵を投げ込んだという。トレーナーが拾い、その車を借りて病院へ向かった。「血がどんどん流れてくるからバスタオルで顔を押さえながら。貸してくれた車は錆びついていて、ボンネットには穴が空いていて、“本当に走るの?”みたいな車でした。でも、本当にありがたかったです」と笑った。
復帰後はアメリカンフットボールのヘルメット着用でのプレー指令も…
病院に到着したものの、受付まで1時間待たされ、やっと来た看護師にトレーナーが状況をすると「X線の用意をします」。検査室に入れたのは、そこから1時間後。入室してからも結局、検査を受けるまで1時間待たされた。その結果、「骨が粉々になっている。手術しないとダメ」と通達された。顎から右のこめかみの辺りにかけて、複雑骨折していた。
通訳兼引率係として一緒に渡米していた西武の和田博実2軍バッテリコーチが試合後に病院に駆けつけ、「どうする? ここ(カリフォルニア州フレズノ)で緊急手術するか? それともサンノゼに戻って手術するか?」。幸いにも2日後に和田コーチの夫人が渡米する予定で術後の面倒も見てもらえるとのことで、拠点を置くサンノゼで手術を受けることにした。
「分かった。じゃあ、帰る手続きをする。ただ、頬に穴が空いて歯が見えているから、そこだけ今縫ってもらえ」と和田コーチ。「直撃の衝撃で、私の八重歯が頬を貫通していたんです。1センチくらいの穴があった。口を閉じていても歯が見えていたんです」。笘篠氏はその場で麻酔なしで縫合してもらったという。
怪我した翌日にセスナ機でサンノゼに戻り、さらにその翌日に手術を受けた。本来ならこめかみから大きく開いて手術を行う予定だったが、笘篠氏がプロ野球選手であることを知った執刀医は「日本でテレビに映る可能性があるのか」。外側に大きな手術痕が残らないように口の右端を切って開き、口の中から手術してくれたという。
手術から約2か月。笘篠氏は遊撃手としてグラウンドに戻ったが、イレギュラーバウンドの打球が当たることを危惧し、アメリカンフットボールのヘルメットを被りながらのプレーを指示された。
「ヘルメットについている装具のせいで、ちょうどボールがグラブに入るタイミングが見えなくて、2回くらいエラーしたんです。もう、頭にきてヘルメットを脱いでベンチに放り投げた。『怪我したら自分の責任だから』と言ってプレーを続けました」
アメリカで過ごした壮絶なプロ3年目だった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)