故郷での“凱旋登板”よりも「京セラで投げたい」 比嘉幹貴が見つめる現在地
オリックス・比嘉幹貴、沖縄開催に「めちゃくちゃ楽しんでもらえたと思います」
試合で投げたい思いばかりが募る。コンディション不良で故郷・沖縄での凱旋登板を逃したオリックス・比嘉幹貴投手が、復活に向けて大阪・舞洲の球団施設で汗を流している。「投げられるようにならないと『何を言っているんだ』という話なので。また、沖縄で登板するチャンスがあるかどうかわからないですが、まずは舞洲で、そして(本拠地の)京セラで投げたいですね」。郷里の期待に応えられなかった無念さを胸の奥にしまい、静かな口調で足元を見つめた。
5月中旬に地元・沖縄で開催された8年ぶりのホームゲーム。「昨年12月ごろに決まって、年末に実家に帰るとみんなが楽しみにしているのが伝わってきましたね。1月になってからは宮城(大弥投手)や大城(滉二内野手)らと『今年は(沖縄で)あるね』と。僕も、その時期には1軍にいて投げたいと思っていました」。
しかし、4月24日に左膝を痛めて出場選手登録を抹消され、沖縄のマウンドに比嘉の姿はなかった。宮城、大城も故障で戦列を離れ、沖縄出身選手で参戦できたのは宜保翔内野手だけになってしまった。
「もう……。うらやましく思いましたよね。(宜保が)打席に立つ時の大歓声が(テレビの)画面を通してもわかりましたから。彼の良いプレーも、悪いプレーも出たのですが、すごく良い経験をしたんじゃないですか。京セラよりも緊張したでしょう」。
20歳近くも離れた若手の健闘をたたえることを忘れなかった、チーム第年長の41歳。「映像を見ていたら、僕がマウンドに上がってもあんなに指笛を吹いてくれるのかな? と思いましたね。高校野球も盛り上がりますが(プロ野球の)真剣勝負は少ないですから、めちゃくちゃ楽しんでもらえたと思います。また沖縄で開催してほしいですね。次は宮城らと行きたいですね」。その日を心待ちにしながら、実戦登板する日に向け準備を重ねる。
○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。
(北野正樹 / Masaki Kitano)