“日本一”直後…牛丼屋で聞いた戦力外 一人ずつ鳴る電話、凍りついた「リアル着信アリ」
生山裕人さんは2009年育成ドラフト4位でロッテ入団、4年間在籍した
2009年から4年間ロッテに在籍した生山裕人さんは、姪っ子がダウン症であることを機に、現在は福祉事業の道に進んで障がい児支援を行っている。NPBでは支配下登録されることなく育成選手のまま終えたが、牛丼チェーン店で受けた戦力外通告の瞬間を忘れることはない。
「リアル『着信アリ』でしたね」。生山さんがホラー映画になぞらえ振り返った恐怖のシーンは、2012年10月に起きた。イースタン・リーグで優勝したロッテは愛媛・松山で行われたファーム選手権に出場。4-0で2年ぶりの日本一に輝いた。
「9番・左翼」で先発出場した生山さんも、その日のうちに仲間と帰京。午後10時を過ぎており寮の食堂は閉まっていたため、6、7人の寮生で最寄りの武蔵浦和駅にある牛丼チェーン「松屋」に入った。
やっと夕食にありつき牛丼を頬張っていると、とある後輩の電話が鳴った。淡泊な返事ですぐにその電話を終えると「明日、球団事務所に来いって言われました」。戦力外通告を意味する“呼び出し”に、一瞬にして空気は張り詰めた。すぐに、次の仲間のもとにも電話が……。それは生山さんにもかかってきた。
「いわば、みんな当落線上の人たちでしたからね。僕も支配下に上がれないでいたので、さすがに今年で終わりだろうと思いつつ、その日スタメンで出ていたので来年も……とちょっと期待したので複雑でした。でも年齢と実力を考えたときに、2年目くらいからいつ切られてもおかしくないなとは思っていました」
このとき、電話が鳴らなかったのが、今なお現役を続ける西野勇士投手だ。2008年育成ドラフト4位が生山さん、5位が西野。多くの時間をともに過ごした5学年下の“盟友”は、翌年に支配下を勝ち取り、のちに侍ジャパンの守護神を務めて年俸1億円を突破するまでになるなど「育成の星」となった。
吉本新喜劇のオーディション落選…超特殊経歴でたどり着いたNPB
生山さんは近畿大時代は準硬式野球部に所属し、芸人を目指して吉本新喜劇のオーディションを受けるも落選。「野球のことが好きすぎて24時間考えてしまう。こんな邪魔なものがあったら人生が狂ってしまう」と“諦めるため”に四国アイランドリーグのテストを受け、自身も驚く合格を掴んだ。香川に入団し、本気でNPBを目指したのは22歳の頃という、「超」がつくほど“特殊経歴”の持ち主だ。
50メートル5秒台の俊足がスカウトの目に留まり、NPBの舞台へ。しかし「本当に真っすぐ走る足しかなかったから、盗塁もできない。周りは名門校ばかりで“当たり前”の基準が違いすぎる。1年目は病んでいたし、あれだけ好きだった野球を好きと言えないくらいにズタボロになりました」と明かすほど現実は厳しかった。
それでも、必死に自分をアピールした。独立リーグ時代から続けていた全力疾走は、どんなときも怠らなかった。「プロである以上、下手でも信念を持った思いをアピールする」。貫いた姿勢は、現役を退き異業種に進んだ今も大事にしていることだ。
滋賀県大津市に開所した放課後等デイサービス「シーズステップ」は、昨年10月の開所から半年以上が過ぎた。「プロ野球選手がいかに恵まれた環境だったかを実感しています。そのことに現役時代から気付くキッカケがあれば、プロ野球選手のセカンドキャリアの可能性ももっと広がっていくのではないかと思います。でもやはり、すごい経験ができた4年間でしたね」。新たな世界で戦う生山さんにとって、苦しくて険しかったNPB時代は、確実に活きている。
(町田利衣 / Rie Machida)