伊良部秀輝に“暴言”連発…「頭を叩いていた」 叶わなかった共演、父が明かした伝説右腕の素顔

阪神時代の伊良部秀輝(右)と星野仙一監督【写真提供:産経新聞社】
阪神時代の伊良部秀輝(右)と星野仙一監督【写真提供:産経新聞社】

的場寛一氏が明かす…8歳上の伊良部秀輝氏との交流「よく僕の家に遊びに来ていた」

 あの背中は忘れられない……。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏はボーイズリーグ「兵庫尼崎」出身だが、当時、大きな励みだったのが、チームの先輩である8歳年上の伊良部秀輝氏(元ロッテ、ヤンキース、阪神など)の活躍だった。的場氏の父・康司氏が「兵庫尼崎」のコーチだったことで、「中学時代の伊良部さんはよく僕の家に遊びに来ていたんですよ」。様々な伝説も耳にして「伊良部のお兄ちゃんみたいにプロになりたい」と憧れ、目標にもしていた。

 伊良部氏は尼崎市立若草中から香川・尽誠学園に進学し、1986年の2年夏と1987年の3年夏に甲子園に出場。1987年ドラフト1位でロッテに入団すると、1994年に最多勝に輝くなど、剛球を武器に活躍した。1997年にヤンキース入りしてメジャーでも剛腕ぶりを発揮。2003年からは阪神でもプレーした。中学時代は、的場氏の父がコーチだった「兵庫尼崎」に在籍していた。

「伊良部さんは、よく僕の家に遊びに来てファミコンをやっていたんですよ。あのでっかい体で、背中を丸めてね。小学校の低学年だった僕は『伊良部のお兄ちゃん、伊良部のお兄ちゃん』って言っていました。当時の伊良部さんは丸刈り頭。あまり記憶がないんですけど、僕はよく『ハゲ、ハゲ』って言いながら、伊良部さんの頭を叩いていたそうなんですけどね」

 そんなふうに慕っていた「お兄ちゃん」が甲子園に出場して、ドラフト1位でプロ入り。的場氏はまだ10歳だったが「身近な人がプロ野球選手になって、僕も行けたらいいなぁって思いました」と刺激になったという。そして耳にしたのが「兵庫尼崎」時代の伊良部氏の凄さだった。「中学校の時から球が速くて、スーパースターだったそうで、父も『あいつは変なことをせん限りはプロに行くと思っていた』と言っていましたしね」。

 そのヤンチャぶりも有名で「試合前に相手チームの選手を呼び出して一蹴り入れたとかいう話もありました」と的場氏は言うが、もちろん、そればかりではない。「野球に関しても、人に見せない努力って言うんですかね。父から『あいつはよく1人で走っていたんやで』とか聞いて、あんなすごい選手でも努力するんだなって思った記憶があります。それで僕にも、陰でやるという意識が根付いていったと思います」。

元阪神・的場寛一氏【写真:山口真司】
元阪神・的場寛一氏【写真:山口真司】

阪神入りした伊良部氏から「俺の頭を叩いているの覚えているかぁ」

 それこそ伊良部氏を手本にして的場氏は野球に取り組んだといっていい。「兵庫尼崎」が使っていたピッチングマシンは伊良部氏から寄贈されたもの。そのマシン相手に黙々と打ち込んだりもした。中学時代の的場氏は、結果を残せず苦しんだが、伊良部先輩に少しでも近づきたいとの思いは失わなかった。まさに憧れの人だった。

 的場氏は愛知・弥富高を経て九州共立大に進学。1999年の大学4年時には大学No.1遊撃手と評価され、阪神にドラフト1位で入団した。伊良部氏は1999年オフにヤンキースからエクスポズ(現ナショナルズ)に移籍したが、的場氏にとっては常に意識していた「お兄ちゃん」だった。その伊良部氏が2003年に阪神入団。プロで同じユニホームを着ることになったのだから、感慨深いものがあったことだろう。

「メジャーから帰って来られて、一緒にやることになったので、伊良部さんのところに挨拶に行きました。『的場です』ってね。そしたら『おう、お前、大きくなったなぁ』と言われて『お前、俺の頭を叩いていたのを覚えているかぁ』って」と的場氏は懐かしそうに振り返った。父の教え子であり、自身の先輩でもある伊良部氏との関係は変わっていなかった。

 今は亡き伊良部氏が阪神に在籍したのは2シーズン。2003年は13勝でリーグ優勝に貢献したが、その年の的場氏は1軍出場がなかった。2004年も2人が同時期に1軍にいることはなく、残念ながら1軍での“共演”はなかった。だが、的場氏にとっては忘れられない人だ。「僕の家でファミコンをやっていた、伊良部さんの背中もよく覚えているなぁ……」とつぶやいた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY