阪神ドラ1が付いた嘘の“代償” ボロボロだった肉体…待っていた病院での宣告
的場寛一氏の1年目は11試合で打率.208…初安打は「素直に喜べなかった」
怪我の連鎖だった。元阪神ドラフト1位内野手の的場寛一氏はプロ1年目の2000年、11試合の出場で24打数5安打の打率.208に終わった。2月のキャンプで左脇腹肉離れを発症して出遅れ。シーズン中には左膝を痛め、2軍戦ではフェンスに激突して右手親指を骨折、その際に腎臓も痛めてリタイアし、オフには左膝を手術した。怪我して治ったと思ったら、また怪我の悪循環。「今、思い出しても悲惨だったなぁ」と無念の表情を浮かべた。
野村克也監督率いる阪神に即戦力の大学球界No.1遊撃手として加入した的場氏だが、ルーキーイヤーから試練の連続だった。1軍スタートの2月の高知・安芸キャンプでの左脇腹肉離れがケチのつけはじめ。「2月の末にファームと一緒に帰阪して、そこからはリハビリ。オープン戦の終盤にようやく実戦復帰しましたが、開幕は2軍でした」。この調整遅れは響いた。2軍戦を経て4月11日の巨人戦(甲子園)に「8番・遊撃」でプロ初出場したが、3打数無安打だった。
「(巨人先発の)工藤(公康)さんにきりきり舞いさせられました。前に飛ばなかったですもん。ストレートを待ってストレートを振りにいってもね。超一流の球ってこうなんやって、ちょっと実力の差も感じたというか……。甲子園で、デビュー戦でフワフワしていたのもありましたし……」。翌4月12日の巨人戦も「8番・遊撃」で起用されたが、2打数無安打1三振で途中交代。その後2軍落ちとなった。
「自分自身もこれじゃぁ駄目だと思った。つらかったけど、しゃーないなっていうのもありました」。当時の2軍監督は岡田彰布氏。「岡田さんにはいろいろ教えてもらいました。バッティングピッチャーもしてくれた。毎回2軍に落ちるたびに『ホンマ、バッティングが悪くなって戻ってくるなぁ』ってよく言われたのも覚えていますね」。そんな2軍調整を経て5月下旬に1軍再昇格。プロ3試合目の出場となった5月24日の中日戦(甲子園)でプロ初安打をマークした。
「8番・遊撃」でスタメン出場して5回に三塁内野安打。「セーフティバントのサインが出て、それを決めたんです。内心、初ヒットがセーフティって嫌やなぁって思いました。やっぱりクリーンヒットがよかったんで、一塁ベース上では素直に喜べなかった自分がいました。サインだったからしかたないんですけどね」。試合は延長15回、6時間2分の激闘の末に2-3で阪神が敗れた。的場氏は5打数2安打1三振1四球でフル出場した。
「あれは疲れましたね。試合中に初安打のボールをもらっていたんですけど、もうヘトヘトで、うっかりボールを持って帰るのを忘れてしまったんです。後で気付いたけど、もうどこに行ったかわからなくなりました。当時はそんなにこだわりがなくて、まぁいいかってなったんですけどね」。その後も的場氏は「8番・遊撃」などで起用されたが、11試合目の出場となった6月7日の巨人戦(東京ドーム)を最後に1軍から離れた。その試合は3打数1安打で途中交代していた。
腎臓を傷めて2週間入院、オフには左膝手術…怪我に泣かされた1年目
「実はずっと左膝が痛かったんです。痛み止めで麻痺させて試合に出ていたんですけど、もうにっちもさっちもいかなくなって、足を引きずりだして、首脳陣も“あれ大丈夫か”ってなったと思います。病院に行ったら、もうやめといた方がいいとなって……」。またリハビリ。ドラフト1位で期待されていただけに周囲の視線も気になった。「記者さんが大勢でいるところを避けたり、食事と風呂以外は外に出るのも人に会うのも嫌だった」。つらい日々だった。
無理もした。左膝が万全ではないまま「大丈夫っぽいです」と申告して2軍戦に出場するようになった。何とか1軍に復帰したいという気持ちも強かったのだろう。だが、またもや悪い流れが……。「地方球場での中日戦だったんですけど、サードを守っていて、ファウルフライを追って、けっこう飛び込んだんですよ。そしたら目の前にフェンスがあって横からバチンと当たって、手をついた時に右の親指が側溝みたいなところにはまってしまって……」
的場氏はプレーを続行しようとしたが「親指が痛くてボールを握れなくなっていた」という。「岡田さんに『いけるのか、いけないのか、どっちなんや』って言われて『たぶんいけません』と言いました。“そんなんで行けないのか”って感じでしたけど、中日のコーチも『これはやめた方がいいですよ』となって、交代しました。そしたら帰りのバスでは、フェンスに当たった方が痛くなってきたんですよ。寮に帰ってトイレに行ったら血尿も出て……」。
検査を受けた結果、右手親指は骨折。その上「腎臓に傷があるから入院することになったんです。2週間くらい入院したと思います」。その後、それは完治したが、左膝の状態は相変わらず思わしくなかった。「最初は膝蓋靱帯の炎症だったんですけど、深く調べるとそれが半分機能していないと分かった。膝のお皿の下に腱がついているのが、はがれており、それで力が入らないそうで、1年目のオフにクリーニング手術をすることになったんです」。
次から次へと怪我に襲われて、1年目は終了した。短期間にこれだけ続くとは、不遇としか言いようがない。「今、思い出しても壮絶。ホント、悲惨やったなぁって思います」。注目を集めたドラフト1位としても悔しすぎる結果だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)