“追っかけ”100人超…満員でパレード中止 「KK」倒して叶えた「冗談みたいな話」
1984年、東京・岩倉で選抜甲子園優勝の山口重幸氏「いつも主語が桑田、清原なんでね」
40年前、甲子園優勝に導いた男が、今度は母校に恩返しを誓う。現役時代に阪神、ヤクルトで活躍した山口重幸氏が、今年4月1日付で東京・岩倉高の野球部コーチに就任している。
球児たちに挨拶したのは2月17日だった。黒色のダウンコートを着た山口氏は、球児たちに言った。「山口です。OBです。一応……君たちのね。昨年までの38年間はプロ野球の世界で仕事をさせてもらってました。今の自分があるのは、岩倉高校のおかげです。甲子園優勝は、みんなの力で勝ち取りました。あの感動を君たちにも味わってもらいたいなと思っています」。球児たちの目の色が変わったのがわかった。
山口氏は1983年に明治神宮大会で優勝し、翌1984年センバツ大会でも決勝でPL学園を破って優勝した際のエースだった。「少し恥ずかしかったですけど『あなたたちの先輩なんです』と言いましたね。食堂に当時の写真が貼ってあるんです。優勝した時のね。それを知っているからか『ああ、どうりで!』という顔でしたね。写真もパネルも古すぎて、理解するのに少し時間がかかったみたいです(笑)。40年前の話ですから」。桑田真澄投手、清原和博内野手の「KKコンビ」を破り、全国優勝を果たしたことを、今の球児は見当がつかない。
「あ、写真の人だという認識ですよね。フィーバーした話も、もちろん知らないですから。『甲子園どうでした?』とは聞いてきますけど、今の学生たちは何を言っても信じないですよ(笑)。予想できないことばかり起きたんですから。上野駅が満員になってパレードが中止になったことも、当時は男子校だったので、学校の前に100人以上、追っかけの女の子が来てくれたりも……。商店街を歩いたら、お腹いっぱいになるまで帰らせてくれませんでしたけど、全部が信じきれないようですよ」
「寮のトイレに書いていたんです。『甲子園優勝』って、ずっと」
「KKコンビ」に土をつけた衝撃は計り知れなかった。「いつも主語が桑田、清原なんでね。僕より向こうの方が有名過ぎるから。『PLに勝ったチームの投手』という認識ですよね。そのおかげで、プロ野球の世界に40年近く居れた。岩倉、PL、甲子園のおかげです、僕の人生は」。ふとした時に、決勝戦のマウンドを思い出す。
「胸を借りる気持ちでぶつかる方だから、結構、気持ちは楽でした。(周囲から)良い試合しような、楽しく野球やろうな。恥ずかしくない試合をしてくれ、5失点以内を目指そうと言われていましたからね。秋の神宮大会で優勝はしていましたけど、まさかPLに勝てるとは思いません」
決勝戦は岩倉が8回に1点を先制して、山口氏がそのまま完封勝利。1安打に封じ、優勝旗を手に入れた。「小さい頃からの第一目標をクリアした感じでした。小学校の卒業アルバムに『甲子園で優勝する』とまで書いていましたから。(担任の)原先生に『決勝まで出たら甲子園に応援に来てほしい』と言っていたそうです。それで本当に(仲間を)集めて来てくれて、勝てたんです……」。夢を諦めない大切さを、球児たちに知ってほしい。
「無理だなって思うことは簡単なんですよ。冗談みたいな話なんですけど、寮のトイレに書いていたんです。『甲子園優勝』って、ずっと。木の扉に釘で毎日。2年の夏ぐらいに向こう側が透けて見えるくらいになりました。そこから1年が経って、最後は穴が空いたんです。夢は叶うんですよ、最後は絶対に。諦めなければね」
58歳。今も真っすぐな視線は変わらない。球児たちと白球を追う時間に、幸せを感じている。
(真柴健 / Ken Mashiba)