戦力外から格闘技転向、トライアウト4度&チーム“消滅”…元ドラ1壮絶人生も「スッキリ」
横浜の元ドラ1・古木克明氏は格闘家転身後に野球復帰を目指した
横浜(現DeNA)、オリックスでプレーした古木克明氏は、2009年オフに戦力外を通達されると、同年の12球団合同トライアウトを2度受けたが、オファーは届かず格闘家に転身。プロとしてリングにも上がったが2011年4月の試合後に格闘技から引退した。野球への思いが再燃し「けじめをつけるために」とトライアウトをはじめ、復帰への道を模索した。
約1年半、格闘家として猛練習の日々を過ごしていたが、1度は断ち切ったはずの野球への思いが再燃した。「格闘技をやりながら、野球をまたやりたいと。“隣の芝”は青く見えるのでなく、実際に青かったんです(笑)。もう1度やってみたいと。『戻ったら面白いんじゃないか』と背中を押してくれる人もいて」。
ドラフト1位指名でプロの世界に飛び込んだが、思い描いた結果を残せずに自分の中では不完全燃焼で野球界と“決別”していただけに「可能性があるならチャレンジしたい」。野球教室の指導者を手伝いながら復帰を目指した。「正直、難しいのは自分でも分かっていました。でも、もう1度野球をやれる嬉しさを求めました」。
2011年にトライアウトを受けるもオファーはなし。「野球へのけじめをつける意味でも、国内外の独立リーグも含めて探しました」。2012年に自身4度目となるトライアウトを受けたが、それでも声はかからなかった。
厳しい現実と向き合うなか、プロ野球選手時代の知人を通じてアメリカの独立リーグ、パシフィック・アソシエーションに所属するハワイ・スターズの入団テストを受けられることに。古木氏は日本の独立リーグ、石川ミリオンスターズに加わって、ハワイ・スターズとの交流試合に参加。試合後にハワイ・スターズ入団への合格が決まった。
「『明日から君はハワイ・スターズの一員だ』と言ってもらえた。そこから“中学英語生活”が始まりました(笑)」
所属チームは1年で“消滅”…遠征費が重荷に
本拠地を置くハワイ州ヒロでの生活がスタート。マイナー入りしてメジャーを目指す者や地元出身の元メジャーリーガーら、さまざまな選手とともにプレーした。「僕も受け入れてもらい、仲良くしてもらいました」。
シェアハウスで共同生活し、横浜時代から趣味にしていたサーフィンを通じても親睦を深めた。月給は12万円程度。ロコモコや店で売られているブリトーが“白米代わり”。環境は厳しかったかもしれない。それでも「決して野球のレベルも高いとはいえませんでしたが、楽しくやれました」と振り返った。
残念ながらハワイのチームゆえに相手チームも含め、アメリカ本土との遠征費が重荷になったことで「ハワイ・スターズはリーグから撤退し、チームは解散みたいな形になりました」という。「できればもう1年やりたかったのですが、日本でプレー先もなかった自分が気持ちよく終えることができた。プロとしてグラウンドに立って、結果も残して終えたことにスッキリしました。野球を好きで終われたのは自分の中でプラスだった。あのままなら、好きじゃないまま終わっていました」。
紆余曲折を経て、現在は神奈川・鎌倉市で少人数レッスンの「BASEBALL SURFER」を経営している。「子どもたちに野球の楽しさ、魅力を伝えていきたいです。野球人気も復活してほしいですね。今日も間もなく生徒が来るんですよ。あ、ちょうど来ましたね」。古木氏は笑顔で少年を出迎えていた。
(湯浅大 / Dai Yuasa)