かつての名門も…大学生は「知らない」 痛感した“15年間の空白”からの再出発

日産自動車野球部・四之宮洋介ヘッドコーチ(左)と伊藤祐樹監督【写真:日産野球部提供】
日産自動車野球部・四之宮洋介ヘッドコーチ(左)と伊藤祐樹監督【写真:日産野球部提供】

2025年に活動を再開する日産自動車野球部、伊藤監督が選手獲得に奔走

 来年活動を再開する日産自動車硬式野球部は、拠点となる神奈川・横須賀市で寮やグラウンドの整備を進めている。今月1日には、新ユニホームを発表。16年ぶりの再始動に向けて着々と歩を進めるが、難航したのが選手の獲得だった。かつては都市圏の強豪大から即戦力選手が入社してきたが、現在内定している20人の多くが地方大学出身者。伊藤祐樹新監督がその理由を語った。

 日産野球部は1959年に創部。都市対抗に29度出場し、2度の優勝を誇る。日本選手権にも16度出場している。広島でプレーした梵英心氏(現オリックス内野守備走塁コーチ)やオリックス、ロッテでプレーした川越英隆氏(現ソフトバンク4軍投手コーチ)、西武や巨人でプレーした野上亮磨氏(現巨人3軍投手コーチ)らを輩出している名門だが、2009年いっぱいで休部となっていた。

 活動再開が発表されたのは2023年9月。その年末に監督就任が発表され、選手の獲得に動いたのは今年に入ってからだ。全国各地の大学の試合を視察し、試合後に飛び込みで監督に声をかける地道な活動を続けたが、強豪大学の有望選手は1、2年生の頃から社会人チームの練習に参加。「大学の監督に『この選手はどうですか?』と聞くと『もう決まっている』という答えが返ってくることも多くありました」。それでも、他の選手を推薦してもらうなどしながら、なんとか獲得選手を絞り込んでいった。

「グラウンドや室内練習場がないので見学もできないし、どういう野球をするチームなのかも分からない。各校の指導者からは『日産復活よかったね』と声をかけられましたが、休部から15年経っているため、肝心の選手たちは日産野球部を知りません。一握りではありますが、断られることもありました。新設する施設の資料を見せながらの説明など努力はしましたが、環境も大事なので仕方ないですね。活動再開を発表して土俵に上がったつもりでいましたが、まだまだだと痛感しました」

技術以上に必要な人間性「野球以外の部分でも会社で働くわけですから」

 直接会うのが難しかった選手とはリモートで面接を行うなどして、選手が決まりだしたのは4月に入ってからだ。周りからは「もういい選手は残っていないぞ」と言われることもあったが、焦りは全くなかった。一番重視したのは人間性だ。逆に、技術は伴っていても強調性に疑問符が付く選手には断りを入れた。強豪チームであれば問題はないが、日産野球部は一からチームを作らなくてはいけない。伊藤監督には「見栄えのいい選手が集まっても、一つにならないと勝てない」という考えがあった。

「ちょっと時間はかかりそうですが、そこは仕方ないと思っています。エラーをすることもあれば、点を取られることもある。それでも、勝ちにつながる考え方や、プレーができる選手を選んだつもりです。野球以外の部分でも会社で働くわけですから、社会的な適応能力が必要です。そういう意味では、一芸に秀でた個性的な選手は少ないのかもしれません」

 近年、社会人野球の企業チームは減少傾向で、野球を続けたくても就職先がなく断念せざるを得ない大学生もいる。そんな選手たちの受け皿になるのが、使命でもあると感じている。これまでとは異なるチームカラーになりそうな新生日産。選手たちはどんなプレーを見せてくれるのか、今から楽しみだ。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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