「批判がないとつくり上げられない」 芽吹いた若き力…新庄監督が貫いた信念
清宮は感謝「最後日本一になりたい、男にしたいなと思っています」
日本ハムの新庄剛志監督は、26日にエスコンフィールドで行われた楽天戦に勝利し、就任3年目で初のAクラス入りを決めた。2年連続最下位に沈み、球界の常識に捉われない采配は批判されることもあったが、我慢の2年間が実を結び「批判がないとつくり上げられないと思っていた」と胸の内を明かした。
就任1年目は、ドラフト8位ルーキーだった北山を開幕投手に大抜擢。奇想天外な采配も注目を集めた。世代交代を図るチームの中で“トライアウト”と称して選手を見極めた。土台づくりをしていたとはいえ、勝負の世界。負けが先行すれば世間から厳しい評価を下されるのは避けられなかった。
「批判がないとね。『何しとんねん、無茶苦茶なことをするな』と。でも僕の頭の中のストーリーで分かっていたことなので『さあ見ておいてね』と思っていました。この2年間、そういう形で野球をして成長させて、ここで納得をさせる。野球ファンの人たちは、あのチームからここまでつくり上げてきたと、変わったと思っていると思うんです」
それは、口にし続けてきた“プロ野球を変えたい”にもつながる。「だからこれをいいお手本じゃないですけど、ほかのセ・リーグ、パ・リーグで、さあ世代交代でつくりあげていかないとというチームは、僕のやり方をやってもらったら3年でつくれますよっていうところは、プロ野球のために、僕がプロ野球を変えたいって言った一つではありますね」と誇らしげにうなずいた。
一方で、監督業の厳しさは痛感したところでもある。1年契約で退路を断って挑んだ3年間。「自分との戦いはしないといけない。なんて言われようが、無茶苦茶言われようがね。僕、家族がいないからまだいいんですけど、家族、子どもがいたら批判とかに耐えられない部分もすごくわかるっちゃわかるんですけど、それをつくり上げる、信念をもってやり通すというところが大事ですね」。言葉の端々に、覚悟がにじんだ。
尻を叩かれ、主力に成長した清宮は言う。「2年間我慢して、僕もそうですし、万中(万波)とかいろんな選手がたくさんの試合を経験させてもらった。その結果が少しずつ出てきているのではと思います。最後日本一になりたい、(新庄監督を)男にしたいなと思っています」。新庄監督が信念を貫き通した先に若き力が芽吹き、強いチーム力が生まれた。
(町田利衣 / Rie Machida)