夏の準優勝から2日後…名将からの着信に「救われた」 武相が引き寄せた“奇跡”

ベスト8に進出した武相ナイン【写真:大利実】
ベスト8に進出した武相ナイン【写真:大利実】

5点差をひっくり返す奇跡の逆転劇でベスト8

 7日に開幕した秋季神奈川大会はベスト8が出揃い、28日から準々決勝に突入する。注目の大一番が、今夏の準決勝の再戦となる横浜-武相だ。古豪・武相は2020年8月に、前任の富士大で8度の全国大会出場経験を持つOBの豊田圭史監督が就任。今春42年ぶりに県大会を制すと、夏はベスト4進出を果たし、1968年夏以来となる甲子園に一歩ずつ近づいている。

 21日に行われた横浜商との4回戦。試合後、ベンチ裏に出てきた豊田監督は、私の顔を見るなり呟いた。「奇跡ですよ。大学でも監督をやってきましたが、こういう展開からひっくり返せたのは初めてです」。

 中盤までは完全な負け試合だった。初回に守備の乱れもあり、エース左腕の八木隼俊が3点を失うと、3回、4回にも追加点を奪われ、5回を終わって0-5。打線は横浜商・山口櫂の力のあるストレートに押され、2安打に抑え込まれていた。

同点三塁打を放った武相・渡辺羽音【写真:大利実】
同点三塁打を放った武相・渡辺羽音【写真:大利実】

クーリングタイム中、豊田監督が選手に飛ばした“ゲキ”

「このまま負けたら悔いが残るぞ。チャンスはどこかで必ずくる。そのときに決めるべき人間が決めなければダメだ。吉崎(創史)、森山(惇)、(渡辺)羽音。お前らが頑張らないとダメだ」。3人はレギュラーとして、夏のベスト4を経験。新チームから吉崎が新主将に就いた。

 指揮官の言葉通り、チャンスは7回にきた。5番・黒瀬陽史の中前打を皮切りに、三上煌貴、上ケ市仁の連打で無死満塁のチャンスを作ると、代打・工藤龍真の死球でまず1点。さらに、八木の左前適時打で3点差に迫ると、1死後、2番・渡辺が右中間を破る走者一掃の三塁打を放ち同点に追いついた。逆方向へのファウルが4球続く中、打席中にバットをワングリップ短く持ち、ストレートをコンパクトに弾き返した。

 その後、吉崎の中前打、三上にも適時打が生まれ、一気に7点を奪い逆転に成功。勢いそのままに8回裏にも5点を追加し、12-5のコールド勝ちでベスト8進出を決めた。

円陣を組む武相ナイン【写真:大利実】
円陣を組む武相ナイン【写真:大利実】

指揮官が選手に託す思い「重圧を宝石に変えてほしい」

 なぜ、奇跡は起きたのか――。何も準備していないチームが、奇跡を起こせるはずはない。

「うちは普段の練習から厳しく、一生懸命にやっていて、こういう窮地になったときこそ、チームの底力が出ると思っています。3年生の先輩も簡単には負けなかった。それだけの練習をやっていますから。『あきらめない』『粘り強く戦う』という財産を、先輩たちが築いてくれました」

 常に言い続けているのは「野球は9イニング勝負」。我慢していれば、どこかで劣勢を跳ね返すチャンスがくる。その流れを引き寄せるため、攻守交代時の全力疾走を徹底し、あえて「攻撃と守備は別物」と捉えている。守備のミス、攻撃のミスを引きずらない。苦しい展開になったこの日も、攻守交替の動きが緩むことはなかった。

 奇跡を起こせた理由はもう1つある。「窮地に追い込まれたときこそ、優しさを出すのではなく、主力選手に『お前らが何とかしなきゃダメなんだ!』と、あえて強く接しています。試合に出るべき人間に、自覚を持たせる。チームの代表として、試合に出ているわけですから」。ある意味では、責任を背負わせているようにも感じるが、それを跳ねのけてこそのレギュラーだ。

「重圧やプレッシャーを、宝石やダイヤモンドに変えてほしい。重圧を力に変えて、結果を残せる選手になってほしい」。豊田監督が、常に選手に伝え続けている言葉である。敗戦が頭によぎる中、重圧を見事に宝石に変えて、逆転勝ちを収めた。

夏の敗戦後、創志学園・門馬監督から送られた言葉

 今夏は準決勝に勝ち進み、春に続く快進撃を見せたが、横浜に1-2のサヨナラ負け。紙一重の戦いに敗れ、豊田監督は大粒の涙を流していた。

「能力差があっても、一生懸命に練習をして、相手を研究すれば(勝つ)可能性はある。負けた悔しさとともに、就任してから4年であそこまで持っていけたという手応えはありました」

 新チームは、敗戦の翌日から始動した。ただ、豊田監督にとって負けたショックは大きなもので、「すぐには気持ちを切り替えられなかった」と明かす。ユニホームは着ず、グラウンドの周りから静かに見守り、練習はコーチ陣に任せた。

 敗戦から2日後の朝、1本の電話が入った。富士大の監督時代から交流がある、創志学園の門馬敬治監督からの着信だった。2021年夏まで東海大相模を率いて、4度の全国制覇を成し遂げている。

「豊田、いい顔して戦ってたな。神奈川で甲子園を勝ち取るにはここからが、本当の勝負だぞ。今、悔いのないぐらい頑張って、掴み取らないと一生掴めないぞ。もし落ち込んでいるのなら、その時間がもったいない。落ち込む時間があるなら、前を向いて全力でぶつかっていけ」

「自分のことを、近くから見ているのか?」と思うほど、心に刺さる言葉ばかりだった。「門馬さんの言葉で救われました。今やらないと、甲子園は掴めない。すぐに監督室に戻って、ユニホームに着替えて、いつも通りに厳しくやりました」。

横浜の映像を擦り切れるまで分析…大一番に自信

 夏休み中、完全なオフは1日のみ。練習量に裏打ちされた自信が、ベスト8進出の原動力でもある。夏に続く横浜戦となるが、ここまでは「一戦必勝」を貫いてきた。

「この1週間は横浜商に勝つことだけを考えていたので、これからは横浜戦の映像を擦り切れるまで見て、分析します」

 夏の戦いのあと、横浜の村田浩明監督が「豊田監督に丸裸にされていました」と、その分析力に脱帽していた。豊田監督自身も、「相手を分析することは自信を持っています」と語る。

 横浜商を下した翌日のミーティングでは、選手にこう伝えた。「99.9%負けの展開をひっくり返した。お前ら、運を持っているぞ。甲子園に行くチームは、こういう勝ちが必ずあるものだから」。

 横浜、東海大相模に勝たなければ甲子園はない。神奈川で戦う以上、それは分かっていることだ。関東大会出場につながる大一番。チーム力と分析力で、横浜に挑む。

(大利実 / Minoru Ohtoshi)

○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。

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