“1か月”で骨折2度、復帰翌日に投球直撃の不運 血染めの手袋…激痛に耐えた主将の執念
元DeNAの石川雄洋氏は骨折した手で安打「俺すごいなと(笑)」
DeNAの初代主将を務めた石川雄洋氏はベイスターズ一筋で16年間在籍した。内なる闘志を秘めたスタイルで2012年には2度、打席内で骨折したがプレーを続行。それぞれ安打と犠打を記録した。「余裕で折れたとわかった」としながらもバッターボックスに立ち続けた壮絶な体験を回顧した。
「めちゃくちゃ痛かったですよ。ようあれでヒット打ったな、と思います」
内角の際どい球をグリップエンドに当ててファウルにする技術を持っていた左打ちの石川氏は、2012年7月18日のヤクルト戦での第4打席でアクシデントに見舞われた。いつものように山本哲哉の内角球をグリップで当てにいったが、ボールは右手の甲付近を直撃した。球審の判定もファウルだった。
走る激痛。時間稼ぎで1度打席を外れてバットに滑り止めのスプレーをかけに戻ったが「右手が痛すぎてスプレーが押せないんです。余裕で(小指が)折れたとわかった。打席に戻っても痛くて構えるどころでなかった。そのあとフォークボールにバットを投げるようにして打ったらセンター前になった。俺すごいなと(笑)」。出塁後に代走を送ってもらった。
骨が折れた時点での交代は考えなかったという。「打席の途中から出るバッターも可哀想じゃないですか」と驚きの理由を明かした。翌日に出場選手登録から外れた。
骨折から復帰翌日に再び…血染めの手袋に実況「心配です」
不運は続いた。骨折明けで1軍復帰した翌日の8月25日の巨人戦での第5打席、同点の延長10回に犠打を試みた際に左腕・高木康成の抜けた球がシュートしながら体に向かってきた。避けようとしたが、左手人差し指に当たった。指がバットとボールに挟まれた。しかもバントの構えからバットを引き切る前だったとして、またしても判定はファウルだった。
その後も平然とベンチのサインを確認していたが「これもめっちゃ痛かった」。爪が剥がれて指の根元のほうにずれて大量の出血。白い打撃用手袋がみるみるうちに赤く染まり、実況も「手袋から血が滲んでいます。心配です」と伝えたほどだった。
それでも石川氏はプレーを続けた。1球ボールを見送ったあと、投前へ犠打を決めた。ベンチでは痛めていない右手でハイタッチを交わした。「あの時も骨折したのはわかっていました」。それでもやはり交代しなかったのは「延長で途中から代打バントなんて、その選手が厳し過ぎるでしょ。それに試合にでている責任もあるので」。
同年から横浜DeNAベイスターズにチーム名は変わっていた。石川はDeNAの初代キャプテンとしての“戦う姿勢”をみせたのだった。さすがに守備から交代したが、翌日の試合もスタメンで2打席立った。結局、骨折から2日後に1軍抹消となり、自身のシーズンは終わった。
この年は開幕から打率1割台と苦しみ、5月を終えてようやく.204に乗せていた。そこから16試合連続安打など一気に調子を上げ.289までいったところで骨折で離脱した。最終的には.285で終えた。
「ほぼ1か月で2回骨折したんですよね。初めて3割いけるかなと思えるくらいに状態よかったときに骨折した。あの年は痛いより、めちゃくちゃ悔しかったことの方が覚えています」。激痛を上回る悔しさを覚えたDeNA初代キャプテンとしての1年目だった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)