1年前の進路相談では「就職」 しらす漁師を志した右腕が育成2位…本気にさせた母の言葉

阿南光・吉岡暖【写真:喜岡桜】
阿南光・吉岡暖【写真:喜岡桜】

DeNAの育成2位・吉岡暖は中学時代にはヤングリーグで全国制覇

 24日に開催された「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で、阿南光(徳島)の吉岡暖投手は、DeNAから育成ドラフト2位で指名された。今春の選抜大会でベスト8に進出し一躍脚光を浴びたが、高校2年時の進路相談では「就職」を選択。「もうどん底だったんですよ」と、当時を振り返った。

 吉岡は小学1年生から地元の「津乃峰スポーツ少年団」で野球を始め、主に捕手を務めながらさまざまなポジションを守った。中学では地域にある「徳島阿南ヤングホープ」を選んだ。友達と遊んでいても気が付けば野球の話をしているほどのめり込み、中学3年時に同チームが加盟しているヤングリーグで投手として全国制覇を果たした。だが、地元を飛び出すことはできなかった。

「高校進学の時、何人かのチームメートは関西や隣県の私学に進みました。僕も声をかけてもらえたし、行ってみたい学校はあったんですけど、正直そこでやっていけると思えなくて。ヤングリーグで優勝したとはいえ、僕は3番手とか、4番手とか。たくさん選手が集まる私立で、ポジション争いに勝てるほどの自信は持てなかったんです」

 中学時代のチームメートや、小学校の時の仲間らと声をかけ合い、地元にある阿南光へ進学した。同校は2018年に阿南工業と新野が併合してできた新しい学校で、黒土と天然芝の、公立とは思えないほど美しいグラウンドを有している。吉岡は“自分の力で戦える場所”として徳島県に残る選択をしたはずだった。しかし、ここで挫折を味わった。“野球王国”の異名を持つ四国の高校野球を、甘く見てしまったということかもしれない。

「しらす漁師」を検討するも母の顔を見て一転…選抜8強&ドラフト指名へ

「1年から練習試合で投げさせてもらえてはいたんですけど、全然勝てないんですよ。徳島でも勝てないし。(中学での)全国制覇から、全然勝てない。すごい落ち込んで、うまくいかないからってしょっちゅう家族に当たりました。父は何も言わない人なんですけど、特に母ですね。僕も『どこに当たってるんやろ?』と心の中で思ってはいたんですけど……」

 高校2年の秋頃には、卒業を見据えて担任教師や高橋徳監督と、保護者を交えて卒業後の進路について話し合う場が設けられる。夏の徳島大会で全試合先発を任されたものの、準決勝で敗退し、吉岡は迷うことなく「就職」を選んだ。「仲がいい友達がしらす漁師をしているんですよ。だから僕も一緒にと思ったんです」。先のカテゴリーへ進んでも、そこで戦えるほどの実力ではないと自己評価し、高校で完結させようとしていた。

 では、なぜプロ入りできたのか。吉岡は「そのときの母の顔」がきっかけになったと話した。「寂しそうな顔をしたんですよ。『もうちょっと続けてみたら?』って言われました。全然結果残せてないのに」。八つ当たりし、たくさん苦労をかけてきたのに、母は野球続行を望んでいる。吉岡の心の火が、激しく燃え盛った瞬間だった。

 一方、母の絵美さんは、吉岡の八つ当たりについて「遅れてきた反抗期」と語る。希望進路が就職と知った時は「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんのことが一番に頭に浮かんだね。孫の野球が活力になっているから」とサラリと振り返った。さらに「ちょっと幼い」という次男・暖との“家庭での接し方”も明かした。

「家で落ち込んでいる時は『誰が見てもあんたのせいやな』、上機嫌な時は『そんなんで満足するんや』って。優しく共感してあげることはないし、完全否定しかしないです。進路のことも『そんな簡単に野球を諦められるんや』って言ったと思うから、それにカチンときたんだと思います」。その翌年、吉岡は選抜8強とドラフト指名を勝ち取った。阿南光では主軸打者も務めたが、プロでは投手として戦うつもりだ。母とは離れることになるものの、これからも現状に満足させない声が、18歳を成長させるはずだ。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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