21歳で“4度目”の支配下挑戦 独立→育成→戦力外で新球団「1軍で投げたい」

ヤクルトと育成契約を結んだ西濱勇星(写真はくふうハヤテ時代)【写真:北野正樹】
ヤクルトと育成契約を結んだ西濱勇星(写真はくふうハヤテ時代)【写真:北野正樹】

ヤクルトと育成契約を交わした元オリックス、くふうハヤテの西濱勇星の“夢”

 再チャレンジで夢をつかむ。ヤクルトと育成契約を交わした西濱勇星投手が、支配下選手登録を勝ち取ることで古巣のオリックス、くふうハヤテへの恩返しを誓った。「来年は1軍で投げたいですね」。9月18日、ウエスタン・リーグのオリックス戦のために訪れた杉本商事BS舞洲で、西濱は声を弾ませた。

 西濱は群馬県出身。関東学園大付高、独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスから2022年育成ドラフト1位でオリックス入り。150キロ超のストレートが武器の本格右腕として期待されたが、1年目は公式戦3試合に出場し、3回、5安打2三振1四球に終わり、防御率は9.00。コンディション不良もあり、登板機会は少なく、シーズン終了後にチームの構想から外れて自由契約になった。

 NPB復帰を願って参加したトライアウトでは打者3人を抑え、2024年からNPBに新規参入したくふうハヤテ入りが決まった。今季は先発で21試合に登板し4勝8敗、防御率3.47。109イニングを投じ、9月28日にヤクルトと育成契約を交わした。

 前年に3試合しか公式戦登板のなかった西濱が、1年間を通して先発ローテーションを守れたのは、意外にもオリックス時代の「試合に出られなかった時期」の経験が大きかった。「試合には出ることができませんでしたが、その分、次の年に向けての練習ができたことが大きかったですね」。1年間のブランクをステップアップための時間に充てることができたと明かす。

 練習環境もプラスに働いた。「12球団の育成の人は支配下になりたいし、ファームの人は1軍に上がりたい。でも、ハヤテの選手はもっとハードルが高いから必死なんです。そういう人たちと一緒に高め合えたことが、すごく楽しかったんです。自分ももっと頑張ろう……と思えました」。

 オリックスOBの赤堀元之監督や中村勝投手コーチが、技術指導のほか登板間隔や球数制限で1年間の“ブランク”に配慮してくれたことも、怪我なく完走できた大きな理由だったという。

「自分でも、先発でこんなイニングを投げることができるとは想像もつきませんでした。自主トレから順調で、変化球もカーブ、カット、ツーシーム、フォークと球種も増えて、ストライク率も高くなりゾーンで勝負できるようになりました。自分のボールが通用するか不安もありましたが、段々と打者を抑えられるようになって自信がついてきたのも大きかったですね」

NPB支配下登録選手へ4度目のチャレンジが始まった

 支配下選手登録を目指す強い思いがある。昨年10月5日。一緒に構想外になってオリックスを退団し、DeNAに支配下選手で契約された中川颯投手の存在だ。お互いに置かれた、厳しい環境を支え合った仲間。くふうハヤテ入りした際には「前向きに、感謝の気持ちを持ってお互いに頑張ろう」とメッセージを送ってくれた先輩だ。

 中川颯は立教大から2020年ドラフト4位でオリックスに入団したサブマリン。2022年に戦力外通告を受け、育成選手として2023年には2軍で21試合に登板し防御率1.38と安定した成績を残しながら支配下復帰は叶わず、2度目の戦力外を告げられた。新天地では29試合に登板し3勝1セーブ、5ホールドを挙げ、巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ、ソフトバンクとの日本シリーズでもピンチのマウンドで登板し、好救援を果たした。

「同じ日に戦力外になって一緒に練習をしていただき、絶対に活躍してほしいと思っていました。颯さんが活躍する度に、もっと頑張ろうと練習をしました。ヤクルト入りが決まって『来年は1軍で会えるように、お互いに頑張ろう』と言っていただけました」と、西濱は声を弾ませた。

 オリックス時代には他の選手の迷惑にならないように、早朝、無人の室内練習場で練習に励んだ。電気を付けず、窓から差し込む朝日を頼りに汗を流した。神経を使ったこともあり体重は激減したが、くふうハヤテでは練習に集中して、切磋琢磨することができた。

 支配下選手登録への新たな取り組みは「みやざきフェニックス・リーグ」でスタートした。独立時代から「11」、「030」、「18」と変わってきた背番号は「016」に。11月23日に22歳の誕生日を迎える。NPB支配下登録選手へ4度目のチャレンジは始まったばかりだ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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