甲子園春夏連覇…4番が明かすPL学園の“真実” 厳格な上下関係の裏にあった強さのワケ
4番で甲子園春夏連覇、元コーチの深瀬猛氏がPL学園OBチームの監督を務めた
1987年に甲子園春夏連覇を達成した大阪・PL学園硬式野球部。この快挙に春は4番打者、夏は5番打者として貢献した他、2008年から休部前年の2015年までコーチとして後進の育成に尽力した深瀬猛氏が、甲子園球場で9、10日に開催された「第21回マスターズ甲子園2024」にOBチームの監督として参加した。「勝つことも大事だけど、今回は全員で野球を楽しむことが最優先」とグラウンドで率先して明るく振る舞った。
同校は甲子園春夏通算7度の優勝を誇り、1983~1985年には桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」を擁して優勝2度、準優勝2度の黄金時代を築いた強豪。しかし、度重なる不祥事で対外試合禁止などの処分を受け、2016年に休部、2017年に高野連を脱退した。
同校には、大相撲から取り入れた若手育成方法として“付き人”制度があった。1年生が夏までは3年生、秋からは2年生の食事を用意したりユニホームを洗濯したり、身の回りの世話をしながら野球をする上で大切な考え方や方針などを教わる。今も角界に残る制度だが、同校では解釈が歪み、これが寮内の行き過ぎた上下関係へと変わっていった。
PL学園硬式野球部といえば、そんな上級生と下級生の関係性に着目されがちだ。しかし、2学年上の清原と同部屋で生活し、1年夏まで桑田の付き人だった深瀬氏は当時をこう振り返る。
「桑田さんの付き人だった時は厳しいとか辛いとかはなかったです。桑田さんはフルーチェが好きだったから、凍らせた牛乳に原液をかけて部屋に2皿持って行くの。1つは桑田さんので、1つは自分の。そしたら『深瀬も食べていいよ』って言ってくれるから。いざ食べようとしたら、桑田さんと同部屋のタツ(立浪和義)が勝手に食べてしまっていつも無くなっていましたけどね」
2学年上の清原和博と同部屋、桑田真澄の付き人として貴重な体験
上下関係のあり方は、どの先輩の付き人になるかによってさまざまで、一時的ではあるが世代によっては緩和されたこともある。一方で、感謝の心、道具を大切にすること、プレー中は自己感情を律することなど、野球に対する姿勢は年代を問わず一貫性があると感じた。それを深瀬氏に伝えると、一息ついてから「それが本当に強くなれた理由だと思うよ」と頷いた。
「野球とは関係ないものを、野球に結びつけることが大事だったんだろうと思います。PL学園には『処世訓』というものがあって、野球部も日頃から教わるんだけど、例えば『自他を祝福せよ』という教えは、他者のおかげで自分があるから感謝を忘れてはならないということ。それが野球部ではガッツポーズ禁止に繋がっていました。監督から『処世訓』に限らず日常における考え方、生き方、マナーと野球を結びつけて教えられて、選手もそう考えられていたことが、あれほど強くなれた理由だったと思います」
入学時点でポテンシャルが高い球児が集まっていることも強さの一因だったが、それだけで勝ち続けることはできない。努力の積み重ねが結果に現れる。なぜ野球をしているのか明解な理由があり、社会に出るために身につけておくことに直結していることが選手の腑に落ちることで継続的に取り組むことができたのだ。
昭和の時代には珍しく練習メニューや量を自ら考えて監督に直談判する桑田や、バットを抱いて眠る清原の姿などから、さまざまなことを見て学んだ深瀬氏。「OBチームが活動することで取材してもらって、当時応援してくれた人みんながPL学園を思い出すきっかけになったらと思っています」と、マスターズ甲子園での一戦に願いを込めた。鳴門渦潮OBに9-8で勝利し、試合後にはスタンドや球場外周で昔を懐かしむファンと積極的に言葉を交わしていた。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)