喜べなかったプロ初打点「やってしまった」 ベンチで謝罪も…笑顔の恩師「100万年早いよ」
天谷宗一郎氏は2年目に2軍で盗塁王…3年目に1軍初昇格
走攻守3拍子揃う外野手だった元広島の天谷宗一郎氏(野球評論家)はプロ3年目の2004年に初めて1軍に昇格した。出場5試合目に初スタメン&初安打、7試合目に初盗塁、8試合目に初打点をマークしたが、トータルでは10試合、11打数2安打の打率.182、1打点、1盗塁だった。もちろん、これもすべていい経験。恩師の内田順三1軍チーフ打撃コーチに「100万年早い!」と言われる一件もあったという。
天谷氏はプロ2年目の2003年、2軍で打ちまくり、走りまくった。一時は4割を超えていた打率は最終的には.266まで下がったが、6本塁打も放った。盗塁は27で、ウエスタン・リーグの盗塁王に輝いた。1年目(2002年)が2軍で40打数2安打だったのが、嘘のような急成長。「ボールを見て、見てになりすぎたらいけないという1年目の反省をしっかり生かせた。特に2年目の最初はうまくはまったんじゃないかと思います」。
27盗塁に関しては「(2軍監督の)木下(富雄)さんが全部行かせてくれたからです」と話す。「走らなかったら怒られたし、何球以内に行けとか、盗塁の感覚を養うためにやらせてくれました。でも、成功率はよくなかった。2軍では3年目も(42盗塁で)盗塁王をとっていますけど、1軍では(2010年の18盗塁が最高で)それをステップアップにできなかったのは木下さんにホント申し訳ないと思っています」とも口にした。
しかしながら、この2軍での成長ぶりに一気に期待の若手の1人になったのは間違いない。3年目は初めて1軍キャンプに参加した。「でも、最初から1軍という舞台にビビってしまったんですよねぇ……。1年目の開幕前の教育リーグで(ダイエーの)斉藤和巳さんの球がゴーッといってびっくりしましたけど、1軍は全員がゴーッといっている感じでした。2軍とはこんなに違うんだなと思いました」。1軍オープン戦での成績は打率.133だった。
「その期間に1軍を経験できたのは大きかった」という天谷氏は2軍で精進を重ね、8月下旬に1軍昇格を果たした。「2軍の遠征に行く日に広島駅でコーヒーを飲んでいたらマネジャーから電話がかかってきた。何か悪いことしたかなと思いながら出たら『明日から1軍じゃ。寮に戻ってこい』と言われたのは覚えています。その時は1軍にいたのは10日間くらい。アテネ五輪に木村拓也さんが行っていた時に呼ばれて、拓也さんが帰ってきたら2軍に戻った感じでしたね」。
右打ちのサインで左中間三塁打…プロ初打点も「やってしまった」
8月20日の巨人戦(広島)に代走で初出場。翌21日の同カードでは代走で出て中堅の守備に就き、9回裏に初打席が回ってきて、巨人・三沢興一投手の前に二ゴロだった。「あれはボールを見過ぎるという悪い癖が出ました。圧倒されてギャン詰まりの内野ゴロでした」。4試合目の出場となった8月29日の阪神戦(甲子園)では代打で出て“火の玉ストレート”の藤川球児投手に打ち取られた。この時はチームリーダーの野村謙二郎内野手にカミナリを落とされたという。
「野村さんに『絶対、初球を振ってこい』って言われて打席に入ったんですけど、球児さんの初球、外ピッタピタだったんですよ。もう固まっちゃって、あ、絶対無理と思って振らなかったんです。(凡退して)ベンチに帰ったら、野村さんに『振れって言っただろ』ってすごく怒られました。それも経験でしたね」。翌8月30日に登録抹消となったが、もう一度やり直して10月に再び1軍から呼ばれた。「その時は1軍の雰囲気も少しわかっていたし、初ヒットも打てたんですよ」。
10月3日の阪神戦(広島)に「2番・中堅」で初スタメン出場。第1打席で先発・杉山直久投手からプロ初安打となる中前打を放った。翌4日は代走から中堅守備に就き、打席はなかったが、阪神・井川慶投手のノーヒット・ノーランに出くわした。「自分のことで精一杯で“された”って感じでしたけどね」。10月7日の中日戦(広島)では「6番・中堅」で出て、6回に適時三塁打で初打点を挙げたが、これは思い出深いという。
「確かノーアウト二塁で右打ちのサインが出たんですよ。それで引っ張り上げようと思ったら、目茶苦茶いいところに当たって左中間にピューンって飛んでいったんです。右打ちの指示なのにね。やってしまったと思った。初打点の喜びよりもサインを遂行できなかった悔しさがあって……。試合中に広報からコメントを聞かれた時も『サイン通りにできなくてすみませんでした』みたいなことを言った。そしたら(チーフ打撃コーチの)内田さんにトントンと叩かれて……」。
天谷氏は笑みを浮かべながら、こう明かした。「内田さんに『打点がついたから、いいじゃないか! 何かっこつけてそんなことを言っているんだぁ! 100万年早いよ。素直に“良かったです。ナイスバッティングだったと思います”って言っとけばいいんだよ』って言われたんです」。そんな時代を経て成長できた。内田コーチからはいろいろ教わったという。「野球人としての基礎を作ってくれたのは木下さん。形を作ってくれたのは内田さんと思っています」。当時を思い出しながら感謝した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)